「澤瀉屋」の版間の差分

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初代市川猿之助(二代目市川段四郎)の生家が副業として[[オモダカ科|薬草の澤瀉]]を扱う薬屋を商なっていたといわれることに由来する。
 
==解説==
澤瀉屋の宗家の名跡は「市川猿之助」と「市川段四郎」の二枚看板となっている。初代猿之助は二代目段四郎を[[襲名]]してこれが[[止め名]]となったが、自らが芸一筋で切り開いた「猿之助」への愛着を拭いきれなかった。そこで思案の末に長男には「猿之助」襲名させたが、それではこんどは「段四郎」への顔が立たない。既存の門閥家であれば、代々の宗家が、例えば「新之助」→「海老蔵」→「團十郎」と[[出世魚]]のような襲名を繰り返す事もできたかもしれないが、家の歴史が浅い分を自らの研鑽で補ってその地位を築いた二代目段四郎の澤瀉屋では、子弟の教育にも金を惜しみなく使うため懐具合は決して豊かではなかった。そこでひねり出したのが「宗家名跡は猿之助と段四郎の双方、ただしこれを一代ごとに交互に襲名」という妙案だった。この結果、澤瀉屋では
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澤瀉屋の代表的な[[名跡]]には以下のものがある。なお参考までに[[家紋|定紋]]も併せて記した。
 
==澤瀉屋==
 
;<big>===宗家</big>===
{| class="wikitable"
!屋号
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|}
 
;<big>===門弟筋===
 
;<big>門弟筋
</big>
{| class="wikitable"
!屋号
!名跡
!colspan="2"|定紋
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|<small>おもだかや</small><br />澤瀉屋
|<small>いちかわ こだゆう</small><br />[[市川小太夫]] 
|<small>よつ おもだか</small><br />四つ澤瀉
|[[File:Yotsu Omodaka inverted.jpg|45px]]
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|<small>おもだかや</small><br />澤瀉屋
|<small>いちかわ こうもり</small><br />[[市川蝙蝠]] 
|<small>よつ おもだか</small><br />四つ澤瀉
|[[File:Yotsu Omodaka inverted.jpg|45px]]
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|<small>おもだかや</small><br />澤瀉屋