「小袖曾我薊色縫」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
1行目:
『'''小袖曾我薊色縫'''』(こそで そが あざみの いろぬい)は[[歌舞伎]]の演目。[[安政]]五年二月([[1858年]]3月)江戸[[市村座]]初演。[[河竹黙阿弥|二代目河竹新七(黙阿弥)]]作、全六幕。
 
物語は[[文化 (日本)|文化]]二年 (1805) に[[処刑|磔打ち首]][[獄門]]になった実在の大盗賊・[[鬼坊主清吉]]の講釈ネタを主人公に、安政二年 (1856) に起った[[藤岡藤十郎]]江戸城御金蔵破り事件をからめ[[講談]]で知られた剣客[[八重垣紋三]][[御家騒動]]を題材にとり、これに当時なったや[[寛永寺]]の僧侶と遊女の心中事件や初春恒例の曾我兄弟の対面を付け加えてないまぜにしたものだが、

今日では清吉とその情婦・十六夜にかかわる部分のみが『'''花街模様薊色縫'''』(さともよう あざみの いろぬい)の[[外題]]で上演されている。全四幕。一般に『'''十六夜清心'''』(いざよい せいしん)の通称で知られるのはこちらの方である。
 
== あらすじ ==
22 ⟶ 24行目:
清吉とおさよは幼いわが子とともに、おさよの父西心の庵室に潜伏している。清吉は知らぬこととはいえ自分がおさよの弟を殺した事実を知り、涙ながらにおさよに告白する。狂ったように泣くおさよ。二人は自殺しよう争うはずみに、あやまって清吉はおさよを殺してしまう。清吉もかけつけた西心と正兵衛にわが子の将来を托し自害する。正兵衛は棺桶に隠れて脱走しようとするが捕らえられる(この場では他所事浄瑠璃『[[恋娘昔八丈]]』(お駒才三)「鈴が森引き回しの段」が使われ、清吉の心情を上手く表している)。
 
== 初演時配役 ==
== 初演時配役 ==
*極楽寺所化清心のち鬼薊清吉 .....[[市川小團次 (4代目)|四代目 市川小團次]]
{| class="wikitable"
*傾城十六夜のち十六夜おさよ .....[[岩井半四郎 (8代目)|三代目 岩井粂三郎]]<!--
!配役
*俳諧師月岡白蓮実は盗賊大寺正兵衛...-->
!役者
*地獄婆お谷 .............[[關三十郎 (3代目)|三代目 關三十郎]]
|-
*西心 ................二代目 淺尾與六
|極楽寺所化清心<small>のち</small>鬼薊清吉
*寺小姓恋塚求女 ...........[[尾上菊五郎 (5代目)|十三代目 市村羽左衛門]]
*極楽寺所化清心のち鬼薊清吉 .....|[[市川小團次 (4代目)|四代目 市川小團次]]
*下男杢助実は寺澤搭十郎 .......二代目 市川米十郎
|-
*正兵衛女房お藤: ..........吾妻市之丞
|傾城十六夜<small>のち</small>十六夜おさよ
*船頭三次 ..... ........中村鴻蔵
*八重垣紋三 .............|[[市川團十岩井半四郎 (98代目)| 河原崎権十井粂三郎]]
|-
|地獄婆お谷
*地獄婆お谷 .............|[[關三十郎 (3代目)|三代目 關三十郎]]
|-
|西心
|二代目 淺尾與六
|-
|寺小姓恋塚求女
*寺小姓恋塚求女 ...........|[[尾上菊五郎 (5代目)|十三代目 市村羽左衛門]]
|-
|下男杢助<small>実ハ</small>寺澤搭十郎
|二代目 市川米十郎
|-
|正兵衛女房お藤
|吾妻市之丞
|-
|船頭三次
|中村鴻蔵
|-
|八重垣紋三
|[[市川團十郎 (9代目)|初代 河原崎権十郎]]
|}
 
== 解説と逸話 ==
題名に凝る河竹新七らしく、『小袖曾我薊色縫』の「小袖」は<!--能楽の演目に、劇中-->追放される清心に小袖を渡す場面を、「薊」は「鬼薊清吉」の薊の字を、「色」は十六夜の働く「色街」の色の字を、それぞれ利かせている。その「鬼薊」は、主人公のモデルとなった[[鬼坊主清吉]]が獄門になる際に詠んだ[[辞世]]の句
 
  武蔵野に 名もはびこりし 鬼薊(おにあざみ) 今日の暑さに乃(やが)て萎(しお)るる
 
に由来する。
初演は大当たりだったが、官憲に江戸城御金蔵破りの一件を仕組んだ事が睨まれたため、上演中にかなりの場面が飛ばされ、筋がわからなくなるほどだった。それでも35日目にはとうとう上演禁止となってしまった。
 
初演は大当たりだったが、官憲[[公儀]]に江戸城御金蔵破りの一件を仕組んだくだりが睨まれたため、上演中にかなりいくつもの場面が飛ばされるようになりしまいには筋がわからなくなるほどだった。それでも35日目にはとうとう奉行所から上演禁止となの沙汰が下だた。新七は、物語の輪郭をかたちどる藤岡藤十郎の御金蔵破り事件に執着まっ、黙阿弥と名を改めた明治18年 (1886) にはこの藤岡を主人公とした実録風の『[[四千両小判梅葉]]』を書いている
河竹新七は、黙阿弥と改名後の明治18年 (1886) に『[[四千両小判梅葉]]』を脚色し、実録風の江戸城御金蔵破りを劇化している。
 
『稲瀬川』は、風采の上がらない小團次と美しい女形の粂三郎の色模様を、[[清元節|清元]]の『梅柳中宵月』を使って江戸情緒たっぷりに表されている<!--(実際は江戸の隅田川)-->。粂三郎の妖艶さは「あれなら迷わぬ方がどうかしている。ナニ寺を開いたってかまやしねえ」と小團次が溜息混じりに言うほどのものだったという。
45 ⟶ 71行目:
新七はまだ若手の粂三郎に、第一幕は豊かな黒髪、第二幕は坊主頭、第三・四幕は短めと、それぞれ異なる髪型をこなさせることで、その魅力を引きたてることに成功している。ただし二幕目でいきなり坊主では困ると粂三郎の母が文句を入れたので、はじめ頭巾を被り、幕切れで「変わりし頭を旦那様に」と西心が頭巾をとり、おさよの坊主頭が出て、ここで「あれ、<!--。(ト恥ずかしき思い入れにて、傍らの網代笠を冠る。これを柝の頭)-->お恥ずかしゅうございます」と、おさよが恥らう演出に替えたところ、これが好評を得たという。
 
清心と十六夜はそれぞれの時代の最も人気がある立と立女形演じつとめるのが慣行となった。戦前は[[市村羽左衛門 (15代目)|十五代目市村羽左衛門]]と[[尾上梅幸 (6代目)|六代目尾上梅幸]]。戦後は[[市川團十郎 (11代目)|十一代目市川團十郎]]と[[尾上梅幸 (7代目)|七代目尾上梅幸]]。今日では[[片岡仁左衛門 (15代目)|当代片岡仁左衛門]]と[[坂東玉三郎 (5代目)|当代坂東玉三郎]]などが代表的な取り合わせとなっている
 
== 関連項目 ==
* [[鬼あざみ]] - 落語版
 
[[Category:歌舞伎の演目|こそてそかあさみのいろぬい]]