「青池保子」の版間の差分

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{{和暦|1960}}、中学一年生の夏休みに、敬愛する少女漫画家の[[水野英子]]宅を姉と二人で訪問。大きな刺激を受ける。
 
{{和暦|1962}}、中学三年生で一念発起して60頁ほどのファンタジーもの漫画を描き上げ、水野英子宛てにこれを送る。このとき中学三年生だった。しばらくして、[[集英社]]の『[[りぼん]]』編集部から「水野先生から作品を見せてもらいました、お正月号用に短編を描いてください」と手紙が届いた。青池はこの依頼に応え、日本人孤児とフランス人少女の交流を描いた15頁の短編『さよならナネット』を描き上げる。
 
{{和暦|1963}}、『[[りぼん]]』お正月増刊号に『さよならナネット』が掲載され、15歳でプロデビュー。デビュー作の評価は芳しくなく、『りぼん』とはこれきりとなる。
 
{{和暦|1964}}、デビュー作を見た[[講談社]]から『第一回少年少女漫画賞』への作品応募を誘われる。青池はイタリア人画家とモデルの恋愛漫画(24頁)を描き上げ、これに応募。最終審査に残った。ちなみに、少女マンガ部門受賞者は[[里中満智子]]だった。
 
以後、「高校一年のおねえさん漫画家」のキャッチフレーズで、『[[週刊少女フレンド]]』で活躍。[[講談社]]との専属は、以後10年間続いた。その後、『[[なかよし]]』などにも作品を発表。
 
{{和暦|1976}}、日本を舞台にした学園ものにスランプを感じ、心機一転して海外を舞台とし、大好きなロック歌手達をキャラクター・モデルにした『[[イブの息子たち]]』を『[[プリンセス]]』([[秋田書店]])で連載開始。それまでのシリアスな作風とは一変した、さまざまな歴史上の人物が入り混じる、知的パロディカルなコメディ作品に新境地を開く。
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==人物・エピソード==
家業が[[建設業]]経営だったため、幼少の頃から従業員であるたくましい[[男性]]に囲まれた、男くさい環境に育った。家族は両親と兄弟姉妹(姉5人、兄1人)合わせて9人の大所帯だった。父親は俳画に親しむ文人でもあり、水墨画では南宋画の師に学んでいた。この父から受け継いだものは多いと青池は語っている。家系に自分'''やす'''を子供のひとりにつける慣習があり、末っ子である保子の名は、父の保の名を受け継いだものという。
 
『エロイカより愛をこめて』の番外編といえるスパイもの『Z -ツェット- 』や、中世の歴史に題材をとった『アルカサル-王城-』、『修道士ファルコ』など、広範な取材と緻密で丁寧な表現が評価されている。少女誌にとどまらず、少年誌に連載をしたこともある。
 
『エロイカより愛をこめて』のヒットにより、作品の主人公、エーベルバッハ少佐と同名の都市であるドイツ・[[エーバーバッハ|エーベルバッハ]]市を訪れる日本人観光客が急増した。青池はこの功績によって同市から名誉賞と、市のシンボルである[[イノシシ]]の彫像を贈られた(<ref>エーベルバッハのエーベルEberとはドイツ語でイノシシの意味。ちなみにバッハbachは小川の意</ref>の彫像を贈られた。市観光局の依頼で日本語の観光パンフレットの表紙にエーベルバッハ少佐を描き下ろしている
 
== 主な作品 ==
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* IVY NAVY
* [[エロイカより愛をこめて]]
*:ある事件をきっかけに顔見知りとなった、イギリスの美術品泥棒「怪盗エロイカ」ことドリアン・レッド・グローリア[[伯爵]]と、NATOドイツ支局情報部の「鉄のクラウス」ことクラウス・ハインツ・フォン・デム・エーベルバッハ[[少佐]]との奇妙な関係(友情? とも腐れ縁?)とも言える奇妙な関係を中心に描くスパイ活劇。冷戦終結後の数年間の休載を経て再開。シリアスさとギャグとを織り交ぜた作風で人気のシリーズ。2009年現在も続くヒット作品である。
* [[七つの海七つの空]]
*:[[大航海時代]]を舞台に、海賊キャプテン・レッド(グローリア伯爵の先祖)と野心家ティリアン・パーシモンとの戦いを描く。「エロイカ」と共に青池作品の方向性を決定づけた作品。
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*[http://www.aoikeyasuko.com/ 青池保子公式ホームページ ~LAND HAUS~]
*[http://homepage3.nifty.com/sachlichkeit/ エーベルバッハ少佐親衛隊Sachlichkeit]
 
==脚注==
{{脚注ヘルプ}}
{{reflist}}
 
{{DEFAULTSORT:あおいけ やすこ}}