削除された内容 追加された内容
出典を追加
10行目:
 
== 家族・親族 ==
近藤玄泉・脇子夫妻の次男として生まれる。父・玄泉は医者で、兄弟は兄の貫一(玄泉の長男)がいる。妻・従子は岩崎弥太郎の母・[[岩崎美和|美和]]及び[[岡本寧浦]]の妻・ときの姪で、[[実業家]]の[[豊川良平]]は従子の兄(従って岡本とき・岩崎美和の甥)にあたる。また従子の父・小野篤治[[岡本寧浦とき・岩崎美和姉妹の兄弟にあたる<ref>『岩崎彌太郎傳(下)』(岩崎家傳記刊行会 編纂、東京大学出版会、1967年11月20日発行)のp.623によると篤治は美和の兄となっているが、同じく岩崎家傳記刊行会が編纂した『岩崎彌太郎傳(上)』(東京大学出版会、1967年11月20日発行)のp.103によると篤治は[[慶応]]元年([[1865年]])に48歳で病死しており、そこから生年を逆算すると没時年齢が数え年満年齢のいずれであっても篤治は美和の弟になる。また篤治とときの姪で関係についてときは篤治の姉としている文献と逆に妹としている文献の両方がある。『岩崎彌太郎傳(上)』p.103に記述されている篤治の没年及び没年齢が正しければときは篤治の姉ということになる。</ref>。なお廉平・従子夫妻の次男・廉治は[[樺山愛輔]]の長女・泰子と結婚したため、[[白洲次郎]]・[[白洲正子|正子]]夫妻とも縁続きとなった(白洲正子は樺山愛輔の次女、すなわち近藤廉治の義妹にあたる)。故に近藤家は豊川家を通じて[[三菱財閥]]の創業者一族・[[岩崎家]]と姻戚関係を持つ一方、樺山家を通じて白洲家とも姻戚関係にあるといえる。
 
== 脚注 ==
{{reflist}}
 
== 関連項目 ==