「バシキール自治ソビエト社会主義共和国」の版間の差分

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バシキールの人々に多い宗教は多数派に守られた[[イスラム教]]であり、次いで[[ロシア正教]]である。1919年、[[ロシア内戦]]で主要な戦場になったバシュキールは新しい[[共産党]]政権の下で[[ロシア・ソビエト社会主義共和国|ロシア]]の自治共和国と称された最初の民族領域であった。この国は地下資源が豊富である。特に[[石油]]、[[天然ガス]]、[[鉄鉱石]]、[[マンガン]]、[[銅]]、[[塩]]、建設石材などがとれる。ソビエト政府はこの資源をもとに多様な重工業を建てた。
 
この共和国は1990年に[[ソビエト連邦]]の中での主権を宣言し、1992年完全な独立を宣言した。2年後、バシコルトスタンは共通領域の権限を認める条件で、[[ロシア連邦]]の法律に定められた枠にとどまることに合意した。伝統的バシュキール人の職業である、畜産や用法養蜂は現在でも重要な経済活動のままである。
 
バスコルトスタンの人口は1995年で400万人である。1989年の時点で人口のうち[[ロシア人]]39%、[[タタール]]28%、[[バシキール人]]22%、[[チュヴァシ人]]3%、[[マリ人]]3%の割合であった。