「ワイン・ガードナー」の版間の差分

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[[1985年のロードレース世界選手権|1985年]]、前年の実績を評価されたガードナーはUKホンダに起用され、3気筒のNS500に乗り[[セミワークス]]ライダーとして本格参戦。優勝争いには届かないものの、[[フランスグランプリ (ロードレース)|フランスGP]]では4気筒の[[NSR500]]に乗る[[フレディ・スペンサー]]と互角にバトルを展開するなど健闘し、ランキング4位を得る。
 
この年の鈴鹿8耐では優勝大本命の[[ケニー・ロバーツ (シニア)|ケニー・ロバーツ]]、[[平忠彦]]組が先行する中、ガードナーは終盤の2時間近くをライダー交代をせず猛追。ロバーツ・平組のリタイアで劇的な初勝利を達成する。連続走行のためチェッカー後はマシンから降りられないほど消耗しており、その闘志がファンを魅了した。以後、ガードナーは鈴鹿8耐においてホンダのエースとして活躍することになる。
 
[[1986年のロードレース世界選手権|1986年]]はワークスの[[レプソル・ホンダ|ロスマンズ・ホンダ]]チームに加入し、前年度チャンピオンのスペンサーと共にNSR500で参戦。開幕戦[[スペイングランプリ (ロードレース)|スペインGP]]でさっそく初勝利を挙げるが、これはトップ独走中のスペンサーが突如右手首の怪我でリタイアしたためであった。結局、スペンサーはこの故障で欠場を重ね、ガードナーは突然「代役エース」に昇格して、孤軍奮闘でワークスホンダの威信を背負って立つことになる。NSR500は「スペンサー・スペシャル」とも呼ばれる扱い難いマシンだったが、これをねじ伏せヤマハのエース[[エディ・ローソン]]と激しいチャンピオン争いを展開。計3勝でランキング2位を獲得し、着実に王座への足がかりを固めた。