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'''斉藤 隆三'''(さいとう りゅうぞう、[[1875年]][[4月6日]] - [[1961年]][[4月7日]])は、[[千葉県]][[相馬郡 (下総国)|相馬郡]][[守谷 (守谷市)|守谷町]](現:[[茨城県]][[守谷市]])出身の[[博士 (文学)|文学博士]]。
 
== 概要 ==
明治期より昭和期にかけて風俗史、郷土史、美術史等の執筆を行っていた文学博士である。
[[1875年]](明治8年)に千葉県相馬郡守谷町(現:茨城県守谷市)に出生。斉藤家は[[江戸初期に時代]]の[[下総国]][[関宿藩]]領のうち10ヶ村の惣名主を務めてい<ref>守谷町史(守谷町)</ref>で斉藤家に生まれた。先祖に[[小林一茶]]に学んだ俳人斉藤徳左衛門(俳号「若雨」)、兄に元[[衆議院議員]][[斉藤斐]]がいる。
[[東京大学|東京帝国大学]]在学中に郷土である守谷の歴史をまとめた「守谷志」を刊行し、[[1902年]](明治35年)の東京帝国大学卒業以後は50年以上に渡り、美術史や国内の世相史を刊行した。また、[[日本美術院]]の再興や発展、運営に深く関わっていた<ref>{{Cite web|url=http://www.city.moriya.ibaraki.jp/section/0820/bunkazai/koushoubunka.html|title=言い伝え|publisher=守谷市役所|accessdate=2010-02-22}}</ref>。