「モニカ・セレシュ」の版間の差分

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Hhst (会話 | 投稿記録)
サンチェス・ビカリオ
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[[1995年]]8月、セレシュはようやく[[カナダ・マスターズ|カナダオープン]]で復帰を果たす。その準決勝では[[ガブリエラ・サバティーニ]]、決勝で[[アマンダ・クッツァー]]を破り、復帰戦を優勝で飾った。翌月の[[1995年全米オープンテニス|全米オープン]]では第2シードで出場。決勝ではライバルの[[シュテフィ・グラフ]]に 6-7, 6-0, 3-6 で敗れたが、以前と変わらない大接戦で、ブランクを全く感じさせなかった。翌[[1996年]]、セレシュは[[1996年全豪オープンテニス|全豪オープン]]で復帰後初の4大大会優勝を果たす。この勝利により達成した[[グランドスラム (テニス)|4大大会]]女子シングルス通算9勝は、[[モーリーン・コノリー]]と並ぶ女子歴代8位タイ記録である。
 
その後はけがによる不振や、[[マルチナ・ヒンギス]]、[[ビーナス・ウィリアムズ|ビーナス]]と[[セリーナ・ウィリアムズ|セリーナ]]のウィリアムズ姉妹など若手の台頭により、4大大会の優勝から遠ざかった。その後の4大大会で、最も優勝に近かったのは[[1998年全仏オープンテニス|1998年全仏オープン]]であった。大会直前の5月16日、長年彼女を支え続けてきた父親が死去したばかりであった。その悲しみを乗り越え、準決勝で第1シードの[[マルチナ・ヒンギス]]を破り、全仏オープンでは6年ぶり4度目、4大大会では[[1996年全米オープンテニス|1996年全米オープン]]以来となる決勝進出を果たした。決勝戦の対戦相手は、それまでの対戦成績が14勝2敗の[[アランチャ・サンチェス・ビカリオ]]であり、圧倒的にセレシュ有利と言われたが、サンチェスの粘りのテニスに屈し 6-7, 6-0, 2-6 で敗れて準優勝に終わった。これが彼女の最後の4大大会決勝戦になる。これはまた、セレシュが4大大会決勝戦でグラフ以外の選手に初めて(唯一)敗れた試合でもあった。
[[2003年]]の[[2003年全仏オープンテニス|全仏オープン]]1回戦で[[ナディア・ペトロワ]]([[ロシア]])に敗退したのが、セレシュの最後の公式戦出場になる。その後は足の故障により、公式戦復帰への手がかりをつかむことができなかった。[[2005年]]12月には「私はまだ練習に励み、挑戦を続けている。でも同時に現実主義者でもある」と語り、近いうちの引退を示唆するコメントを発表した。最後の公式戦出場から5年後、セレシュは[[2008年]]2月14日(日本時間15日)に正式な現役引退を表明した。
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| [[1991年]] || [[1991年全豪オープンテニス|全豪オープン]] || {{flagicon|CSK}} [[ヤナ・ノボトナ]] || 5-7, 6-3, 6-1
|-style="background: #FC9;"
| [[1991年]] || [[1991年全仏オープンテニス|全仏オープン]] || {{flagicon|ESP}} [[アランチャ・サンチェス・ビカリオ]] || 6-3, 6-4
|-style="background: #CCF;"
| [[1991年]] || [[1991年全米オープンテニス|全米オープン]] || {{flagicon|USA}} [[マルチナ・ナブラチロワ]] || 7-6, 6-1
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| [[1992年]] || [[1992年全仏オープンテニス|全仏オープン]] || {{flagicon|GER}} [[シュテフィ・グラフ]] || 6-2, 3-6, 10-8
|-style="background: #CCF;"
| [[1992年]] || [[1992年全米オープンテニス|全米オープン]] || {{flagicon|ESP}} [[アランチャ・サンチェス・ビカリオ]] || 6-3, 6-3
|-style="background: #CFF;"
| [[1993年]] || [[1993年全豪オープンテニス|全豪オープン]] || {{flagicon|GER}} [[シュテフィ・グラフ]] || 4-6, 6-3, 6-2
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[[Category:ユーゴスラビアのテニス選手]]
[[Category:セルビアのテニス選手]]
[[Category:アメリカ合衆国の女子テニス選手]]
[[Category:オリンピックテニスアメリカ合衆国代表選手]]
[[Category:アメリカ合衆国のオリンピック銅メダリスト]]