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'''ノルトハウゼン'''は、[[ドイツ]]の[[テューリンゲン州]]にある、[[ハルツ山地]]南端に位置する人口約45,000人の都市である。ノルトハウゼンは、[[ノルトハウゼン郡]]の郡庁所在地である。かつては、たばこ産業で知られ、今も蒸留酒の''ノルトハウザー・ドッペルコルン''で知られている。
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この都市は、927年5月13日の[[ハインリヒ1世 (ドイツ王)|ハインリヒ1世]]の書類の中で初めて公式に言及されているが、この土地の初期の村落は、785年ごろまで溯る。1220年に、皇帝[[フリードリヒ2世 (神聖ローマ皇帝)|フリードリヒ2世]]は、この都市を[[帝国自由都市]]とし、さらに1430年に、ノルトハウゼンは、[[ハンザ同盟]]に加盟した。1500年には、ニーダーザクセン[[帝国クライス]]の一部となり、その同じ年あたりから発酵させた穀物酒が作られ始め、それは''ノルトハウザー・ドッペルコルン''の名前で有名になった。1523年、この年に[[トマス・ミュンツァー]]がしばらく滞在し、[[宗教改革]]がノルトハウゼンへともたらされた。
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1648年の[[ヴェストファーレン条約]]の後、ノルトハウゼン周辺の多くは、[[:w:Brandenburg-Prussia|ブランデンブルク=プロイセン]]の一部となったが、この都市そのものは、独立したままであった。[[ナポレオン戦争]]の最中の1802年8月2日に、プロイセン軍がノルトハウゼンを占領し、この都市は、[[帝国代表者会議主要決議|帝国代表者会議]]での帝国自由都市としての地位を失った。次いで、1807年に創設された[[ヴェストファーレン王国]]の一部となった。[[ナポレオン・ボナパルト]]の敗北後、ノルトハウゼンは、1816年に創られた[[プロイセン王国]]の[[ザクセン州(プロイセン)|ザクセン州]]に含められた。ノルトハウゼンは、1882年から1950年まで[[独立市]]であった。
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==姉妹都市==
ノルトハウゼンは、以下の都市と[[姉妹都市|姉妹提携]]している。
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==参照==
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