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*1930年 [[京城帝国大学]][[法文学部]]国語学国文学専攻の[[選科]]に入学。指導教官は[[高木市之助]]。卒業論文の題目は「[[仮名手本忠臣蔵]]の研究」<ref>『[[青丘学叢]]』4、1931年5月、186頁。</ref>
*1931年 同上選科修了。[[本科]]に進学とともに[[朝鮮総督府]][[朝鮮総督府学務局|学務局]]編輯課の嘱託に採用され、以後、国語教科書の編集に従事する。
*1934年 学士試験合格に伴い京城帝国大学法文学部の文学科を卒業(3月)
*1935年 朝鮮総督府[[編修書記]]に任ぜられ、学務局編輯課への勤務を命ぜられる
*1937年 8月2日付けで朝鮮総督府[[編修官]]に任ぜられ[[高等官]]七等に叙せられる
*19451939年 故郷の新発田12月28日付けで高等官六等引き揚げ陞叙
*1942年 6月30日付けで高等官五等に陞叙。
*1945年 3月31日付けで高等官四等に陞叙。4月18日付けで昭和20年勅令63号により京城府在勤を命ぜられる。年末までに故郷の新発田へ引き揚げ。
*1950年 同地にて逝去。