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'''若ヘンリー王'''または'''ヘンリー若王'''(Henry the Young King, [[1155年]][[2月28日]] - [[1183年]][[6月11日]])は、[[イングランド]]王[[ヘンリー2世 (イングランド王)|ヘンリー2世]]と妃[[アリエノール・ダキテーヌ]]の次男。
兄ウィリアム(ギヨーム)が夭逝したため、実質的な長男として父の後継者に定められ、また[[1170年]]に共同君主に立てられた。しかし、父が自分の教育係であった[[トマス・ベケット]]を[[暗殺]]したことや末弟ジョン(後の[[ジョン (イングランド王)|ジョン王]])を偏愛することに反発し、母や[[フランス王国|フランス]]王であり義父の[[
翌[[1174年]]に若ヘンリーらは父と和解するが、その後も不和は続いた。[[1182年]]にはリチャードが自分への臣従礼を拒否したことから、ジェフリーと組んでリチャードと交戦した。翌[[1183年]]に若ヘンリーは28歳で死去し、リチャードが新たに父の後継者となった。
[[1172年]]に
{{イングランド王|共同君主:1170年 - 1183年}}
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