「プリンセス・カラブー」の版間の差分

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[[ファイル:Carabu_2.jpg|thumb|180px|right|ベイカーの書いた「ジャヴァス語」]]
彼女を引き取っていたウォーラル夫妻は、メアリーを[[アメリカ合衆国]]の[[フィラデルフィア]]に送り込むことにし、1817年6月28日に彼女を出国させた。メアリーはアメリカでもカラブー王女のふりを短期間続けたが、数カ月もするとウォーラル夫妻とは音信不通になった。当時の噂話として、メアリーが[[セント・ヘレナ島]]に流された[[ナポレオン]]皇帝を訪問したというものがあるが、ありそうにない話である。
 
1821年、メアリーはイギリスに帰国したが、もはや彼女の「カラブー王女」が人々に注目されることはなかった。メアリーはその後短い間であるが「カラブー王女」の触れ込みでフランスとスペインを渡り歩き、やがて帰国すると二度目の結婚をした。1828年9月には、彼女はメアリー・バージェス(Mary Burgess)という名前に変わってブリストル近郊の[[ベドミンスター (ブリストル)|ベドミンスター]]に住んでいることが確認されており、その翌年には女の子を産んだ。1839年には、メアリーはブリストル王立病院に[[:en:European Medical Leech|医療用ヒル]]を仕入れる仕事をしていた。メアリーは1864年に亡くなり、ブリストルのへブロン・ロード墓地に無記名で埋葬された。