「第一書記」の版間の差分

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[[ソビエト連邦共産党|ソ連共産党]]において、[[ヨシフ・スターリン|スターリン]]の死後、集団指導体制のもとで暫定的な最高指導者となった[[ゲオルギー・マレンコフ|マレンコフ]]は、権力の帰趨が定まらない状況下でスターリンの役職のうち「Председатель Совета Министров СССР(政府[[閣僚評議会議長]]=首相)」のみを継承し、「Генеральный секретарь(党[[書記長]])」を名乗らず、「書記」職にとどまった(が、わずか1週間で書記を追われた)。[[1953年]]に権力を掌握した[[ニキータ・フルシチョフ|フルシチョフ]]が、党首ではあるが「書記の一員」であることを含意して「第一書記」の称号を採用した。その後[[スターリン批判]]の一環として、この称号は個人崇拝否定の象徴となったが、フルシチョフ[[失脚]]後は、[[レオニード・ブレジネフ|ブレジネフ]]によって[[1966年]]に「書記長」に戻された。
 
[[ポーランド統一労働者党]]、[[ドイツ社会主義統一党]]、[[チェコスロバキア共産党]]、[[モンゴル人民革命党]]、[[ベトナム共産党|ベトナム労働党]]なども、1953年以降ソ連共産党にならって党首の称号を「第一書記」に改めた。ブレジネフ時代以後は「書記長」に戻しているが、その時期はソ連と比べかなり遅く、1970年代後半から1980年代まで「第一書記」が使われている。一方、[[日本共産党]]は[[1955年]]に[[野坂参三]]が党の最高指導者として「第一書記」を使用したが、野坂に代わって[[1958年]]に最高指導者となった[[宮本顕治]]は自らの職名を「書記長」に戻した
 
なお、「書記長」と「総書記」の原語は同じである。