「ビル・マゴワン」の版間の差分

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* [[1931年]][[4月26日]]の試合で、[[ルー・ゲーリッグ]]が放ったホームランの打球が、センターの観客席に当たって跳ね返り、[[外野手]]のグラブに納まった。走者の[[リン・ラリー]]は、打球が[[本塁打]]かどうか確認できずに塁上にいたため、ゲーリッグがうっかりラリーを追い越してしまった。マゴワンはアウトの判定を下し、ゲーリッグは本塁打をフイにしてしまう。ゲーリッグはこの年、本塁打王を[[ベーブ・ルース]]と分け合うことになった。
* [[1938年]][[6月7日]]の試合で、[[クリーブランド・インディアンス]]の投手[[ジョニー・アレン]]が、打者の気を散らそうとして、右袖にひらひらする布のついたアンダーシャツを着てきた。マゴワンはシャツの袖を切るように命じたが、アレンはこれを拒否したため退場処分となった。後にアレンには250ドルの罰金を科せられ、シャツは[[アメリカ野球殿堂]]に送られた。
*[[1941年]]には、この年絶好調で打率3割9分9厘5毛の[[テッド・ウィリアムズ]]の最終戦となるダブルヘッダーの球審を務めた。マゴワンは、ウィリアムズの最初の打席でホームプレートを掃きながら、「四割を達成したいなら、力を抜くんだぞ」と言った。ウィリアムズはその2試合で8打数6安打して4割を達成した。後年ウィリアムズは「彼が呪縛を解いてくれたのかもしれない」と語っている。
* [[1948年]][[7月19日]]のインディアンス対[[ミネソタ・ツインズ|セネタース]]の試合で、判定にずっと文句を言い続けていたセネタースの[[投手]][[レイ・スカボロー]]に対し、マゴワンは持っていたボール/ストライクのカウンターを投げつけ、セネタースの[[監督]]・コーチを含む数人を退場処分にしてしまう。翌日、[[コミッショナー]]だった[[ウィル・ハリッジ]]は、マゴワンに前例のない10日間の出場停止と500ドルの罰金の裁定を下した。
* [[1952年]][[8月6日]]の[[ボルチモア・オリオールズ|ブラウンズ]]対[[デトロイト・タイガース|タイガース]]戦で、マゴワンはダグアウトからずっとマゴワンを野次っていたタイガースの投手[[ビリー・ホーフト]]を退場させた。元々マゴワンと仲の悪かったセントルイスの記者が、誰が退場になったかを尋ねても、マゴワンは答えを拒み記者を追い返してしまった。この時もマゴワンは出場停止処分を受けたが、1週間程度で復職した。