「不条理」の版間の差分

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20世紀半ばに再び不条理の意識に注目したのが[[実存主義]]である。とりわけ[[フランス]]で、 カミュや[[ジャン=ポール・サルトル|サルトル]]らによって不条理の[[倫理]]的[[美学]]的次元が探求された。実存主義において「不条理的」という形容は、既存の意味の全てを剥ぎ取られたものに対して用いられる。「不条理」という言葉が用いられる時、世界が根本的に不条理であること、人間の条件はそもそも不条理であって、無根拠であることが喚起されている。
 
カミュは『シジフォスの神話』の中で、不条理な英雄として[[シーシュポス]]を描いている。つまり、神々を怒らせることになるのを意に介さず生への情熱を貫徹するからである。ちなみに、決して頂上にとどまることの無い岩を、転げ落ちるごとになお運び上げ続けざるを得ないシーシュポスの苦役は神々からの処罰のためなのだが、そんなものは捨ておけという意味でカミュは、シーシュポスをその山の麓にとどめようとする。カミュが不条理の解決法として挙げるのは、[[自殺]]、信仰の飛躍、そして不条理の受容である。
 
== 生の意味 ==
 
不条理主義によれば、人は生きる意味を求める。この意味の追究には2つの道がある。1つは人生に意味がないという現実的な結論からの考え、もう1つは神のような超越者を仮定した考えである。しかし神のようなものを仮定するとまた疑問が生じる。「神の意志は何か?」キルケゴールによれば神に目的はなく、神を信じることは不条理だとしている。一方でカミュは神を信じることを、人と世界の対立を否定することで哲学的自殺としてる。だがカミュもキルケゴールも、不条理は神の存在への手掛かりではないとし、カミュは「神がいないとは言っていない、それはまだ議論の余地がある」としている。
 
自殺は生きる意味を失った時の最も速い解決策である。カミュは『シーシュポスの神話』の中で、自殺に価値はない。もし本当に人生がばかげていても、抗うことがばかげていても。むしろ生きる意味が与えられていないからより良く生きようと思えるとしている。
 
カミュは「諦めなしに不条理を受け入れる方法」を紹介している。「魅力なしに生きられるか」を問い、「意識的反抗」を、不条理を拒絶する世界に明示していくことである。先天的意味や死後のさばきのない世界で、人は完全な自由を得る。この自由によって人は見えないものにすがることも、不条理の英雄として生きることもできる。これより不条理の英雄の持つ、拒絶する意志は情熱とともに生きる彼唯一の能力となるのである。
 
== 関連項目 ==