「ティトゥス・リウィウス」の版間の差分

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== 出生と業績 ==
リウィウスは、パタウィウム(現在の[[イタリア]]・[[パドヴァ]])において生まれた。結婚しており最低で少なくとも2人の子供がいた。没したのもパタウィウムであり、一部の記録では死んだのは11年または16年-17年であるとされる。
 
リウィウスの企図の規模と巨大さはその最も著名な作品『ローマ建国史 (Ab Urbe Condita)』の直訳したタイトル『都市の創設から』にも表れている。リウィウスは著述において新たな[[執政官|コンスル]]の選出を告げるために物語をしばしば中断させているが、このような[[年代記]]と[[物語]]を足し合わせたような書き方はローマ人が歴史著述を行う際にしばしば用いる方法であった。リウィウスは[[紀元前387年]]の[[ガリア人]]によるローマの破壊によって生じた[[史料]]の不足が自身の仕事を困難にしたと嘆いている。