「フェルディナンド・デ・メディチ (大公子)」の版間の差分

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[[ファイル:Niccolò Cassani, Gran Principe Ferdinando (1687, vasari corridor Uffizi).jpg|thumb|right|フェルディナンド・デ・メディチ<br>ニッコロ・カッサーニ(Niccolò Cassani)画、[[ウフィツィ美術館]]蔵]]
[[ファイル:ViolanteBeatrix1673.jpg|right|thumb|ヴィオランテ・ベアトリーチェ妃]]
'''フェルディナンド・デ・メディチ'''(Ferdinando de' Medici, [[1663年]][[8月9日]] - [[1713年]][[10月31日]])は、[[トスカーナ大公国|トスカーナ大公子]]。トスカーナ大公[[コジモ3世]]と妃[[マルゲリータ・ルイーザ・ディ・ボルボーネ=オルレアンス|マルゲリータ・ルイーザ]]の長男。'''フェルディナンド3世'''と呼ばれる場合もあるが、大公に即位していないので、ここでは大公子とする。なお、[[フェルディナンド3世 (トスカーナ大公)|フェルディナンド3世]]大公は[[ハプスブルク=ロートリンゲン家|ハプスブルク家]]の大公に存在する。
 
父コジモと母マルゲリータは、長男のあとに長女[[アンナ・マリーア・ルイーザ・デ・メディチ|アンナ・マリーア]]、次男[[ジャン・ガストーネ・デ・メディチ|ジャン・ガストーネ]]と子供をもうけたが、1675年に別居した。彼女は夫を軽蔑しきっており、[[フィレンツェ]]にいるよりも、モンマルトルの修道院に限っていられる、[[パリ]]に戻る方がほんのわずかでもましだった。コジモがフィレンツェに戻るよう要請した時、マルゲリータは初めて夫に出会ったときから地獄にいたと返答した。