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政治について加筆、世界歴史大系(山川)を参考に。
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[[1918年]][[11月9日]]、第一次世界大戦の敗北とともに[[ドイツ革命]]が起きて帝政は倒され、[[ヴィルヘルム2世 (ドイツ皇帝)|ヴィルヘルム2世]]は[[オランダ]]へ亡命し、後に「[[ヴァイマル共和政]]」と呼ばれる[[共和制]]へと移行した。
 
==政治==
ドイツ帝国の政治体制は、1871年4月に発布された[[ドイツ帝国憲法]]に規定されている。[[君主制]]のもと、22邦国と3自由市によって構成される[[連邦国家]]と位置づけられた。議会は[[帝国議会]]と[[連邦参議院]]による[[二院制]]である。帝国議会では男子普通選挙により議員が選出されたが、帝国議会の議案・議決は連邦参議院の同意が必ず求められていた。その連邦参議院は各邦国からの代表により構成されているため、[[普通選挙]]といっても外見的な性格が強かった。憲法改正にあたっては、連邦参議院における14票以上の反対が必要だったが、同議会ではプロイセンが17票を有しているため、プロイセンの合意なしに改正を行うことはできない仕組みになっていた。また、ドイツ皇帝の地位はプロイセン王に属するものとされ、そのドイツ皇帝が戦争・議会・[[帝国宰相]]の人事など広範な権力を有していた。そのため、連邦制を採用しつつも、プロイセンの帝国内における主導権は揺るがないものであった。
 
== ドイツ皇帝一覧 ==