「ソフィア・ローレン」の版間の差分
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| 公式サイト =
| 主な作品 =
| アカデミー賞 = '''[[アカデミー主演女優賞|主演女優賞]]'''<br />1961
| 英国アカデミー賞 = '''主演女優賞'''<br />1961
| セザール賞 = '''1991 名誉賞'''
| ゴールデングローブ賞 = 1995 セシル・B・デミル賞
| グラミー賞 = Best Spoken Word Album for Children<br />2004
| その他の賞 = [[ヴェネツィア国際映画祭]] 女優賞<br />1958
| 備考 =
}}
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==プロフィール==
イタリアの[[首都]]である[[ローマ]]で、ロミーダ・ヴィラーニとリカルド・シコローネの間に生まれた内縁の子であった。幼少時は[[ナポリ]]近郊の[[ポッツオーリ]]で貧困の中成長し、[[1950年代]]初頭にヨーロッパ映画に端役として出演した。その当時の名前はソフィア・ラッツアーロであった。彼女は後の夫となる[[カルロ・ポンティ]]に見いだされ、彼の制作する多くの映画に出演した。彼女の初期の主演作の1つは[[1953年]]の『
彼女は[[1951年]]に[[ハリウッド]]の超大作『[[クォ・ヴァディス (映画)|クオ・ヴァディス]]』に端役で出演したが、[[1957年]]の『[[島の女 (アメリカ映画)|島の女]]』が公開されると彼女は国際的スターと見なされるようになった。この作品において、彼女の水に濡れて体のラインが浮き立つシーンは象徴的であった。
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彼女はその初期のハリウッド作品『楡の木蔭の欲望』([[ユージン・オニール]]の演劇)、『月夜の出来事』([[ケーリー・グラント]]との[[ロマンティック・コメディ]])、『黒い蘭』([[アンソニー・クイン]]とのロマンチック・ドラマ)で[[セックスシンボル]]としてだけではなく、演技力と喜劇的な実力をも証明した。
ケーリー・グラントとは恋愛関係にあったことを、のちに発表した自伝
[[1960年代]]までに、ソフィアは世界で最も人気のある女優のうちの1人としてハリウッドと[[ヨーロッパ]]の両方で作品に出演した。[[1960年]]の『ふたりの女』で[[アカデミー主演女優賞]]を受賞。同年公開の『求むハズ』では共演の[[ピーター・セラーズ]]とのロマンスが報じられた(彼女は否定している)。この作品のプロモーションでソフィアとセラーズは共にアルバムをレコーディングした。
ソフィアは喜劇王[[チャーリー・チャップリン]]の最後の監督作品
長い間、妻のいるカルロ・ポンティとは不倫の間柄だったが、彼の離婚が成立した[[1972年]]に正式に結婚した。2人の息子がいる。ポンティの[[脱税]]容疑事件の後、[[ジュネーヴ]]に住んでいる。事件でイタリア当局に没収されていたポンティ所有の絵画を、遺産として取り戻すとして裁判を起こした。
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日本の映画ファンにもローレンの人気は大きい。何度か来日もしており、日本のCMに出演したこともある。CMでローレンが発した『ラッタッタ』のキャッチフレーズで有名となった[[ホンダ・ロードパル]]のCMなどが代表的である。過去の来日時には[[今川焼き]]がとても気に入ったそうである。また、俳優[[二谷英明]]とのツーショット写真(雑誌「平凡」より、カラー写真)も現存している。
[[2008年]]にも来日し、イタリアの宝石ブランド「ダミアーニ」の[[銀座]]店のオープニングに登場したほか、[[4月21日]]、『[[SMAP×SMAP]]』([[フジテレビジョン|フジテレビ]])の「[[BISTRO SMAP]]」に登場した。日本語書籍は以下。
*『ウーマン
** ソフィア・ローレン、林冬子訳、[[近代映画社]]
*『ソフィア・ローレン
** A.E.ホッチナー、講談社 、1979年絶版
*『ソフィア・ローレン
** 筈見有弘編、
*『ソフィア・ローレンのキッチンより愛をこめて
** ソフィア・ローレン、山崎明美訳 サンケイ新聞社出版局
==主な出演作品==
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