「児玉神社 (藤沢市)」の版間の差分

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読売新聞による由来
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== 由来 ==
[[読売新聞]]{{和暦|1921}}7月28日号「大観小観」欄はつぎのように伝える。日露開戦間際の頃、参謀次長となった児玉は、毎日曜日に鎌倉の別荘に静養のため出かけた。しかし、面会希望の者たちが鎌倉に押しかけてくるので、こっそり江ノ島の山中に閉じ籠もり、おもむろにシベリアの形勢を案じていた。ところが、いつの間にかこの退避先にも「陸軍の諸星や顕官の面々」が押し寄せるので、江ノ島町内ではだれであろうかと穿鑿の末、参謀次長児玉源太郎大将と知れて、町民は大に大将を徳としたという。そこで「将軍沒後江の島町民は将軍の静養の地を購つて其霊を祀つたが大正七年内務大臣から兒玉神社を公認された」という。
 
==脚注==