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'''加藤 敏夫'''(かとう としお、[[1917年]][[8月25日]]-[[1999年]][[10月2日]])は[[日本]]の[[数学者]]。専門は[[偏微分方程式]]、[[数理物理学]]、[[関数解析学]]。
 
[[栃木県]][[鹿沼市|鹿沼]]に生まれる。[[1941年]][[東京帝国大学]]理学部物理学科卒業。[[第二次世界大戦]]による中断を経て、[[1958年]]に[[東京大学]]教授となる。[[1960年]][[朝日賞]]受賞。[[1962年]]より[[カリフォルニア大学バークレー校]]教授。[[1999年]][[カリフォルニア州]][[オークランド (カリフォルニア州)|オークランド]]の自宅にて逝去
 
数理物理学に関する業績が多く、[[1951年]]には[[量子力学]]において現実的な(特異性のある)ポテンシャルでのシュレーディンガー作用素の自己共役性を示した。また、非線型発展方程式、KdV 方程式(Kato smoothing effect)、[[ナビエ-ストークス方程式]]の解について研究を行った。これらの分野の研究に影響を与えた "Perturbation theory of linear operators" の著者としても知られている。
 
[[1960年]][[朝日賞]]受賞。[[1980年]]には、[[アメリカ数学会]]アメリカ応用数学会から共同でより[[:en:Norbert Wiener Prize in Applied Mathematics|ノーバート・ウィーナー応用数学賞]]贈られた受賞
[[1999年]][[カリフォルニア州]][[オークランド (カリフォルニア州)|オークランド]]の自宅にて病没。
 
== 参考文献 ==