「マリア・アマーリエ・フォン・エスターライヒ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
2行目:
{{出典の明記}}
[[ファイル:Maria AmaliaBayern.jpg|thumb|皇后マリア・アマーリエ]]
'''マリア・アマーリエ・フォン・エスターライヒ'''(Maria Amalie von Österreich, [[1701年]][[10月22日]] - [[1756年]][[12月11日]])は、[[神聖ローマ皇帝]][[カール7世 (神聖ローマ皇帝)|カール7世]]([[バイエルン大公|バイエルン選帝侯]]カール・アルブレヒト)の妃。皇帝[[ヨーゼフ1世 (神聖ローマ皇帝)|ヨーゼフ1世]]と皇后[[アマーリア・ヴィルヘルミーネ・フォン・ブラウンシュヴァイク=カレンベルク|アマーリア・ヴィルヘルミーネ]]の次女(末子)。姉は[[ザクセン君主一覧|ザクセン選帝侯]]兼[[ポーランド王国|ポーランド]]王[[アウグスト3世 (ポーランド王)|アウグスト3世]]妃[[マリア・ヨーゼファ・フォン・エスターライヒ (1699-1757)|マリア・ヨーゼファ]]。
 
[[1722年]]にバイエルン公子だったカール・アルブレヒトと結婚し、7子をもうけた。