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== 起源 ==
[[1897年]][[フランス]][[バヤール級装甲]]「ヤード号ル」がたまたま清国広東省の雷州半島東側付け根にある湾に入ったところ、非常な深水良港であることに驚き、[[1899年]]、この湾一帯を占領して[[フランス領インドシナ]]の管理下に置いた。1899年清国とフランスの間で「中仏互訂広州湾租界条約」が正式に締結され、フランスが99年間[[租借]]することが決められた。条約は[[1900年]]から発効し、広州湾租借地は正式にインドシナ連邦に加えられた。
 
== 変遷 ==
フランスは広州湾の中心地にバヤール要塞(Fort Bayard)を築き、イギリスの[[香港]]に相当する対中貿易・投資の拠点とした。1940年[[第二次世界大戦]]によってパリが独軍に陥落し、フランスが[[シャルル・ド・ゴール|ド・ゴール]]将軍の[[自由フランス]]と[[フィリップ・ペタン]]元帥の[[ヴィシー政府]]に分裂すると、中華民国は自由フランス亡命政府と外交関係を樹立したため、広州湾租借地は自由フランスの管轄下に入った。しかし、日本は1943年ヴィシー政府との間に「広州湾共同防衛協議」を締結してこの地域を占領、広州湾租借地は日仏共同管理下に置かれた。自由フランス政府や中華民国政府はこれに関知しておらず、1945年8月日本軍が無条件降伏すると直ちにフランス政府は広州湾租借地を中華民国に返還、中国はこの地を湛江市と改称した。
 
== 現在 ==