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2010年3月17日 (水) 13:16時点における版
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塚本惠一
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2010年3月19日 (金) 16:10時点における版
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Yozakura
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67行目:
== 珍瓏における捨て石 ==
名人因碩こと[[井上道節因碩]]が著した『[[囲碁発陽論]]』(1713年)の香餌懸魚勢(こうじけんぎょのせい)は
15
15
子捨てから始めて計
72
72
子を捨てる作品で
す
ある
。それを改良したのが[[赤星因徹]]で、その著の『玄覧』(1846年)の垂棘屈産失国之形(すいきょくくっさんしっこくのかた)は
16
、16
子捨て
の場所で一眼し
か
ら始めて
できず、他の抜き跡ではことごとく眼がつくれない形で、
計
84
84
子を
捨て
打ち上げたにもかかわらず全滅す
る
作品
という全局詰碁
で
す
ある
。
== 参考図書 ==