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[[1960年]]『傷痕』で[[芸術祭 (文化庁)|芸術祭]]奨励賞を受賞し放送作家として独立。[[1962年]]『子機』で芸術祭奨励賞、[[1964年]][[ポーラ名作劇場]]『いのちある日を』で「久保田万太郎賞」を受賞するなど多くの賞を得て売れっ子作家となる。本格派ドラマのドラマライターとして最盛期には年間100本のドラマ脚本を書いた。[[1972年]]に手がけた[[日本放送協会|NHK]][[連続テレビ小説]]『[[繭子ひとり]]』は、同年[[2月10日]]放送分がテレビ[[視聴率]]歴代20位、ドラマ歴代7位の55.2%を記録。
 
その他、代表作に『[[朱鷺の墓]]』([[1970年]]、NHK)、『[[三男三女婿一匹]]』([[1976年]]、[[TBSテレビ|TBS]])、『[[野々村病院物語]]』([[1981年]]、TBS)、『[[さよなら三角またきて四角]]』([[1982年]]、TBS)、『妻の日の愛のかたみに』(1982年、テレビ朝日)、[[1983年]]の[[日本テレビ放送網|日本テレビ]][[24時間テレビ 「愛は地球を救う」|24時間テレビ]]内で放送された『[[黒い雨 (小説)|黒い雨・姪の結婚]]』などがある。
 
その後脚本家を辞してテレビから離れ小説・随筆などを発表している。また[[1960年]]から[[埼玉県]][[所沢市]]に住み同市の市民憲章の起草委員長を務めるなどの活動もしている<ref>[http://mytown.asahi.com/saitama/news.php?k_id=11000180805270001 asahi.com:「人工樹林」高橋玄洋(所沢市)-マイタウン埼玉]</ref>。[[1992年]][[褒章|紫綬褒章]]。[[1999年]][[勲四等]][[旭日章|旭日小綬章]]。