「マリアナ沖海戦」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
MOMO (会話 | 投稿記録)
アメリカ側における問題点を追加、2010年3月9日16:11の英語版を参照。
110行目:
== 未帰還機について ==
NHKで放送された『証言記録 兵士たちの戦争「マリアナ沖海戦 破綻した必勝戦法」』でも言及されていたが、広い太平洋の真っ只中で何の目印もない状況で、出撃した航空部隊が母艦に戻ってくることは、敵を攻撃する以上に難しかったという。特に戦闘爆撃機として出撃した零戦は単座であったため、航法管制をする搭乗員がいないので、独力で戻ってくることはほぼ不可能に近かったといわれる。そのため、アメリカ側に打ち落とされただけでなく、位置がわからず燃料切れで母艦に帰還できなかった航空機も相当数あったようであるが、その実数は不明である。
 
== アメリカ側における問題点 ==
米艦隊を率いた[[レイモンド・スプルーアンス]]提督の指揮は、海戦後長年にわたって多くの批判を受けた。サイパン島の上陸部隊の援護という主任務にこだわるあまり、慎重に行動しすぎて日本艦隊を壊滅させる絶好のチャンスを逃したという批判である。
 
米側は6月18日の時点で既に日本艦隊主力の位置を探知しており、第58任務部隊の指揮官であるマーク・ミッチャー中将は西進すれば日本艦隊と夜間戦闘の可能性があるとして水上部隊指揮官のリー提督と協議したが、リー提督は日本の水上部隊との夜戦には乗り気でなかった。そこでミッチャーはスプルーアンスに翌朝の全力航空攻撃が可能な地点まで西進することを提案したが、スプルーアンスは日本艦隊が夜のうちに迂回して米艦隊の背後に回りこんで上陸部隊を攻撃することを恐れてこれを許可せず、結局全力航空攻撃の機会は訪れることはなかった。
 
しかし、[[南太平洋海戦]]以来久々の日本機動部隊との全面衝突であり、日本海軍航空隊のここまでの技量低下は認識されていなかったこと、後の[[レイテ沖海戦]]で[[ハルゼー]]提督が機動部隊の壊滅にこだわるあまり、栗田部隊の進撃を放置してサマール沖海戦の危機を招いたことなどを考慮すると、この批判は必ずしも当たっているとは言えないだろう。
 
== 参加兵力 ==