「フランシス・ゲーリー・パワーズ」の版間の差分

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=== アメリカ帰国後 ===
パワーズがアメリカに帰国したとき、彼は撃墜後、ソ連側に逮捕される前にU-2機密情報や偵察写真、部品を自爆装置を用いて処分することを怠ったいう非難が起きた。また、一部からはCIAの作った自殺用毒薬を使用しなかったという批判もなされた。帰国後に撃墜から拘留中の出来事についてCIA、[[ロッキード]]社(U-2の製造者)、合衆国空軍からパワーズは事情聴取を受けたあと、1962年3月6日、[[アメリカ合衆国上院軍事委員会|上院軍事委員会]]に出頭した。上院軍事委員会はパワーズは重要な機密は一切ソ連側に洩らしていないと判断した。
 
その後、パワーズは1963年から1970年までロッキード社にテスト・パイロットとして勤務し、1970年、U-2撃墜事件における自身の体験を綴った''Operation Overflight''をカート・ジェントリーとの共著で出版した。この本の中でパワーズは、かつてソ連に一時[[亡命]]した[[リー・ハーヴェイ・オズワルド]]がソ連側に渡した[[レーダー]]情報がU-2撃墜事件につながったと指摘している。