「辛子明太子」の版間の差分

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== 名称 ==
語源は[[中国語]]で、スケトウダラを「明太」(ミンタイ)もしくは「明太魚」(ミンタイユー)と呼んでいたことに由来するとされる。つまり「明太子」とはスケトウダラの子、即ち「タラコ」という意味になる。なお、日本では「鱈」の字が文書に現れるのは[[寛永]]10年(1670([[1670]])であり、そもそもはスケトという呼び名だった。またロシア語でもスケトウダラを「{{lang|ru|минтаи(}}(ミンタイ)」と呼び、[[北海道]]では、スケトウダラの干物を「ミンタイ」と言う。
 
[[大|韓国]]では「明太」を「ミョンテ」と読む。
 
[[朝鮮半島]]では辛子明太という食べ物があるが、これは唐辛子で味付けした「タラ」である。韓国では、日本で言う「明太子」は「明卵漬」({{lang|kr|명란젓}}, {{lang|en|Myeongran jeot}})と表記し、発音は「ミョンナンジョ」である。日本のものに比べて、強烈に[[ニンニク]]が利いていて、似て非なるものである。
 
== 歴史 ==
2009年現在、明太子(辛子明太子とたらこ)の歴史は明太子業者や関係者に伝わる諸説が存在する。しかし2008年8月に出版された[[今西一]]・中谷三男共著により「明太子開発史」が出版され』では、歴史的資料に基づいた明太子の歴史が述べかになったものであれている。
[[ファイル:Mentaiko bento.jpg|250px|thumb|辛子明太子と野沢菜をのせた弁当のご飯]]
2009年現在、明太子(辛子明太子とたらこ)の歴史は明太子業者や関係者に伝わる諸説が存在する。しかし2008年8月、[[今西一]]・中谷三男共著により「明太子開発史」が出版され、歴史的資料に基づいた明太子の歴史が明らかになったものである。
 
=== たらこ ===
そもそも明太子の最古の資料として「[[宗 (朝鮮王)|世宗]]実録」に「1424年、韓国の監司がタラの卵の塩辛を献上した」との記述が残っている。その後スケトウダラを加工して食べる食文化は、[[朝鮮半島]]で広まっていき、日本に伝わったのは[[江戸時代]]である。
 
国内においても古くからスケトウダラは漁獲されており、[[1903年]]頃から[[北海道]]においてスケトウダラ漁が本格化して、スケソウダラの卵の塩漬け([[たらこ]])が盛んに食べられるようになった。そして[[1910年]]から[[1921年]]にかけてスケトウダラの卵巣に食塩と食紅を添加した「紅葉子」が開発され、樽詰めにして北海道各地、山形、新潟、東京、名古屋、大阪、下関等に出荷された。
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=== 明太子の普及 ===
[[ファイル:Mentaiko bento.jpg|250px|thumb|辛子明太子と野沢菜をのせた弁当のご飯]]
[[1975年]]に[[山陽新幹線]]が[[博多駅]]まで開業した際、博多名産・辛子明太子のほうが広く世間に広まった影響から急速に全国へ波及した。このために下関のまぶし製法よりも博多で盛んであった漬け込み製法が主流となり、現在でも量販向けで広く流通している。また、まぶし製法も少数ながら生産されており市場向けの高級品として流通し、棲み分けがなされている。