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== 旧領主 ==
2010年現在[[イギリス|英]][[新聞|紙]][[フィナンシャル・タイムズ]]に勤務する[[ポーランド人]]記者ヤン・チェンスキ(Jan Cienski)Cieński)氏の一家は[[シュラフタ]](ポーランド[[貴族]])で、3世紀もの長きに亘って代々この村の由緒ある領主であった。<ref name="FT">{{cite web |url=http://www.ft.com/cms/s/0/be98d9aa-360d-11df-aa43-00144feabdc0.html |title=Poland’s lost property |date=2010-03-25 |language=English |accessdate=2010-03-26}}</ref>
 
一家はこの村を本拠として[[宮殿]]を構え、この村を含めてその一帯の3000[[ヘクタール]](30[[平方キロメートル]])もの広大な土地を所有していたが、彼の[[祖父]]スタニスワフ・チェンスキ(Stanisław Cienski)Cieński)は一家の[[預貯金]]を全額現金化して戦争直前のポーランド政府に寄付し、国家防衛を支援したものの、[[第二次世界大戦]]でポーランドはこの地一帯をソビエト連邦に占領され、一家の不動産はそのまま戦後にウクライナに接収された。17世紀に建てられたチェンスキ家の宮殿はウクライナによって破壊され、その[[レンガ]]は村の[[公民館]]の建材となり、[[丘]]の上にある宮殿の敷地は更地になり、のちに[[駐車場]]とされた。<ref name="FT"></ref>
 
西ウクライナにおける[[ウクライナ人]]の多くは排他的なウクライナ[[民族主義|民族主義者]]で特にポーランドに対する憎悪が強く、この土地からポーランド人がいなくなったことに満足している。しかしこの村に関してはそのウクライナ人住民の一部はいまでもチェンスキ家を崇敬しており、チェンスキ記者がこの村を訪れると、ある住民は領主様であったチェンスキ家の若殿ヤンに会えることに歓喜し、ヤンに対して忠誠を示す挨拶をするという。<ref name="FT"></ref>