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こうして康叔は封国である衛に赴任すると、周公旦の命に従って善政を布いたため、民から慕われることとなった。やがて周の成王も成人となり、国政を行えるようになったので、成王は康叔を周の司寇<ref>司寇(しこう)は司法長官にあたる。</ref>とし、周王室の宝物を下賜して康叔の有徳を表彰した。
康叔が[[
卒
薨
去]]すると、子の康伯が立った。
== 家族 ==