「岡本克道」の版間の差分

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* [[香川オリーブガイナーズ]] (2009)
* [[横浜ベイスターズ]] (2010 - )
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'''岡本 克道'''(おかもと かつのり、[[1973年]][[6月9日]] - )は、[[大阪府]][[大阪市]][[東淀川区]]出身の元[[プロ野球選手]]([[投手]])。現在は[[横浜ベイスターズ]]投手コーチ。2005年から2006年までの登録名は「'''岡本 劼能'''」(読み同じ)
 
{{by|2005年}}から{{by|2006年}}までの[[登録名]]は'''岡本 劼能'''(読み同じ)。
== 経歴 ==
[[柳ヶ浦高等学校|柳ヶ浦高校]]時代に[[第62回選抜高等学校野球大会|1990年春]]、[[第73回全国高等学校野球選手権大会|1991年夏]]の甲子園に出場。卒業後は[[社会人野球]]の[[東芝硬式野球部|東芝]]を経て、1996年にドラフト5位でダイエー(現ソフトバンク)に入団。
 
== ・人物 ==
ストレートを武器に新人の年からリリーフとして活躍し、1997年には19セーブ、1998年には21セーブを記録。チームが優勝した1999年と2000年は疲労性右肩故障により活躍できなかったが、2001年からは再びリリーフとして復活した。
[[柳ヶ浦高等学校|柳ヶ浦高校]]時代に[[第62回選抜高等学校野球大会|1990年春]]、[[第73回全国高等学校野球選手権大会|1991年夏]]の甲子園に出場。卒業後は[[社会人野球]]の[[東芝硬式野球部|東芝]]を経て、{{by|1996年}}の[[プロ野球ドラフト会議|ドラフト]]5位でダイエー(現[[福岡ソフトバンクホークス|福岡ダイエーホークス]] に入団。
 
ストレートを武器に新人の年からリリーフとして活躍し、{{by|1997年}}には19セーブ、{{by|1998年}}には21セーブを記録。チームが優勝した{{by|1999年}}{{by|2000年}}は疲労性右肩故障により活躍できなかったが、2001年からは再びリリーフとして復活した。
2003年は[[篠原貴行]]とのダブルストッパーで初めてチームの優勝に貢献。[[2003年の日本シリーズ|日本シリーズ]]でも[[阪神タイガース|阪神]]打線を無失点に抑える好投で、日本一に輝いた。2006年オフに球団から[[戦力外通告]]を受け、現役引退。
 
{{by|2003年}}[[篠原貴行]]中継ぎエースのダブルストッパしてチム最多の54試合に登板し、初めてチームの優勝に貢献。[[2003年の日本シリーズ|日本シリーズ]]でも[[阪神タイガース|阪神]]打線を無失点に抑える好投で、日本一に輝いた。しかし、{{by|2006年}}は一軍登板は無く、同年オフに球団から[[戦力外通告]]を受け、現役引退。
2008年、[[四国・九州アイランドリーグ]]の[[長崎セインツ]]のコーチに就任。しかし、チームの成績が低迷したことから、同年前期終了後に6月末をもって解任された。2009年は四国・九州アイランドリーグの[[香川オリーブガイナーズ]]の投手コーチを務め、[[2010年]]からはダイエー・ソフトバンク時代に投手コーチだった[[尾花高夫]]監督の下で[[横浜ベイスターズ]]の1軍投手コーチ(ブルペン担当)を務める。
 
{{by|2008年}}、[[四国・九州アイランドリーグ]]の[[長崎セインツ]]のコーチに就任。しかし、チームの成績が低迷したことから、同年前期終了後に6月末をもって解任された。2009年は四国・九州アイランドリーグの[[香川オリーブガイナーズ]]の投手コーチを務め、[[{{by|2010年]]}}からはダイエー・ソフトバンク時代に投手コーチだった[[尾花高夫]]監督の下で[[横浜ベイスターズ]]の1軍投手コーチ(ブルペン担当)を務める。
 
かおり夫人は芸名「[[CAORI]]」としてラジオ・パーソナリティやTV番組のレポーター([[福岡放送]]のホークス番組のレギュラー出演歴あり、この番組が縁で両人が出会い、ゴールインへと至った)活動をしていた(2003年の出産を機に活動休止)。
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|-
|style="text-align:center"|{{by2|1997}}
|rowspan="9" style="text-align:center; white-space:nowrap;"|[[福岡ソフトバンクホークス|ダイエー<br />ソフトバンク]]
||52||0||0||0||0||3||6||19||--||.333||228||53.2||52||3||15||4||1||60||4||1||20||19||3.19||1.25
|-
|style="text-align:center"|{{by2|1998}}
||42||0||0||0||0||1||2||21||--||.333||162||39.0||34||4||13||1||0||36||1||0||11||11||2.54||1.21
|-
|style="text-align:center"|{{by2|1999}}
||1||0||0||0||0||0||0||0||--||----||10||2.0||1||1||2||0||0||0||0||0||1||1||4.50||1.50
|-
|style="text-align:center"|{{by2|2000}}
||7||0||0||0||0||0||0||0||--||----||34||7.2||5||0||7||0||0||3||0||0||3||2||2.35||1.57
|-
|style="text-align:center"|{{by2|2001}}
||66||0||0||0||0||5||4||1||--||.556||267||63.2||57||6||26||5||0||52||2||0||22||20||2.83||1.30
|-
|style="text-align:center"|{{by2|2002}}
||48||0||0||0||0||5||1||8||--||.833||213||53.2||40||5||10||5||1||65||1||0||10||9||1.51||0.93
|-
|style="text-align:center"|{{by2|2003}}
||54||0||0||0||0||2||3||2||--||.400||217||53.1||50||8||13||2||1||59||0||0||27||24||4.05||1.18
|-
|style="text-align:center"|{{by2|2004}}
||7||0||0||0||0||0||0||0||--||----||31||7.2||7||1||3||0||0||7||0||0||4||4||4.70||1.30
|-
|style="text-align:center"|{{by2|2005}}
||14||0||0||0||0||1||0||0||5||1.000||63||15.0||15||2||2||0||0||16||0||0||9||8||4.80||1.13
|-
!colspan="2"|通算:9年
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|}
* ダイエー(福岡ダイエーホークス)は、2005年にソフトバンク(福岡ソフトバンクホークス)に球団名を変更
* ホールドの制定は2005年度から
 
=== 個人記録 ===
* 初登板:1997年4月5日、対西武ライオンズ戦(西武球場)4-3 8回2死より登板、1/3回無失点
* 初セーブ:1997年5月11日、対千葉ロッテマリーンズ戦(北九州市民球場)2-1 9回より登板、1回1失点
* 初勝利:1997年6月17日、対日本ハムファイターズ戦(東京ドーム)5-4 8回1死より登板、3回2/3無失点
* 初ホールド:2005年3月26日、対北海道日本ハムファイターズ戦(ヤフードーム)
 
=== 背番号 ===
* '''45''' (1997年 - 2006年、2009年)
* '''88''' (2008年)
* '''81''' (2010年 - )
 
=== 個人記録 ===
* 初登板:1997年4月5日、対[[埼玉西武ライオンズ|西武ライオンズ]]戦([[西武ドーム|西武球場]])4-3 8回2死より登板、1/3回無失点
* 初セーブ:1997年5月11日、対[[千葉ロッテマリーンズ]]戦([[北九州市民球場]])2-1 9回より登板、1回1失点
* 初勝利:1997年6月17日、対[[北海道日本ハムファイターズ|日本ハムファイターズ]]戦([[東京ドーム]])5-4 8回1死より登板、3回2/3無失点
* 初ホールド:2005年3月26日、対[[北海道日本ハムファイターズ]]戦(ヤフ[[福岡ドム|福岡Yahoo!JAPANドーム]]
 
== 関連項目 ==
* [[大阪府出身の人物一覧]]
* [[福岡ソフトバンクホークスの選手一覧]]
 
== 外部リンク ==
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[[Category:香川オリーブガイナーズ]]
[[Category:横浜ベイスターズ及び横浜大洋ホエールズ関連人物]]
[[Category:野球指導者]]
[[Category:大阪市出身の人物]]
[[Category:1973年生]]