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東京仏学校との合併への布石として司法省から派遣されたのが、この河津祐之である
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== 経歴 ==
嘉永2年(1849([[1849]])4月8日に[[三河国]][[西端藩]]の[[藩士]]である黒家に生まれる。[[幼名]]は孫次郎。長じて[[幕臣]]である[[河津祐邦]]の女婿となり、河津家の家督を継ぐ
 
[[江戸幕府]]の[[蕃書調所|蕃書取調所]]([[東京大学]]の源流教育機関)で教育を受け、また[[箕作麟祥]]の門下となって学問を修め、幕府の外国方翻訳掛を務めた。
 
明治時代になってからは、明治3年([[1870年]])3月から[[大学南校]](現東京大学)に出仕し、同7年([[1874年]])9月まで文部関係の[[官吏]]として文部中教授、[[文部省]]学制取調掛などを歴任。明治4年([[1871年]])12月から箕作麟祥の下で、[[学制]]の起草にあたり<ref>[http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpbz198101/hpbz198101_2_019.html 文部科学省「学制の制定」『学制百年史』]</ref>、明治5年([[1872年]])5月から[[フランス]]に留学。明治6年([[1873年]])以降に文部省から刊行された『仏国学制』の翻訳者を務めた(「小学総論」「中学総論」の校閲、「大学総論」の翻訳)。
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[[Category:日本の文部官僚]]
[[Category:日本の逓信官僚]]
[[Category:法政大学の教員]]
[[Category:自由民権運動の人物]]
[[Category:愛知県出身の人物]]