「グレゴリウス12世 (ローマ教皇)」の版間の差分
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'''グレゴリウス12世'''(Gregorius XII, [[1326年]] - [[1417年]][[10月18日]])は、[[教会大分裂]]の時期に選出された[[教皇|ローマ教皇]]
[[ヴェネツィア]]出身で、本名は
[[1409年]]、[[ローマ]]・[[フランス王国|フランス]]双方の[[枢機卿]]が集まり、教会大分裂を収束すべく[[ピサ教会会議]]を開催する。当時は[[公会議主義]]の主張が高まっていた時期である。グレゴリウス12世及びベネディクトゥス13世の両教皇は会議に出席しなかったが、公会議は2人を廃位とし、[[ミラノ]][[大司教]]を新たに教皇に選出した([[アレクサンデル5世 (対立教皇)|アレクサンデル5世]])。しかし、グレゴリウス12世もベネディクトゥス13世も同意しなかったため、3人の教皇が鼎立する状態になった。アレクサンデル5世は急死し、[[ヨハネス23世 (対立教皇)|ヨハネス23世]]がその後を継ぐ。
[[1414年]]から開催された[[コンスタンツ公会議]]でグレゴリウス12世を含む3人の教皇が廃位を宣言される。グレゴリウス12世は退位に同意し、[[1417年]]に[[マルティヌス5世 (ローマ教皇)|マルティヌス5世]]が選出されると、ようやく教会大分裂が解消された。
グレゴリウスは晩年を[[アンコーナ]]で過ごした。▼
▲グレゴリウス12世は晩年を[[アンコーナ]]で過ごした。[[エウゲニウス4世 (ローマ教皇)|エウゲニウス4世]]は甥に当たる。
{{ローマ教皇|第205代: 1406年 - 1415年}}
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