「ドゥアルテ1世 (ポルトガル王)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
TXiKiBoT (会話 | 投稿記録)
出典の追加。
1行目:
[[ファイル:Duarte-P.jpg|right|180px]]
'''ドゥアルテ1世'''(Duarte I, [[1391年]][[10月31日]] - [[1438年]][[9月13日]])は、[[ポルトガル王国|ポルトガル]]王(在位:1433年 - 1438年)。[[ジョアン1世 (ポルトガル王)|ジョアン1世]]と[[ランカスター公]][[ジョン・オブ・ゴーント]]の娘[[フィリパ・デ・ランカストル|フィリパ]]の息子。'''雄弁王'''(o Eloquente)と呼ばれる。なお、弟である[[エンリケ航海王子]]を描いたとされる肖像画は、実はドゥアルテ1世を描いたものであるという説が近年出ている<ref>[[VHS]]、『大航海 ヴァスコ・ダ・ガマの道 第1巻ポルトガル ここに地尽き始まる~大航海時代の始まり~』、[[海工房]]。</ref>。
 
1428年に[[アラゴン王国|アラゴン]]王[[フェルナンド1世 (アラゴン王)|フェルナンド1世]]の娘[[レオノール・デ・アラゴン (ポルトガル王妃)|レオノール]]と結婚した。2人は9子をもうけたが、成人したのは5人である。
11行目:
 
[[1437年]]に行われた[[タンジール]]遠征で、アラブ軍に弟[[フェルナンド聖王子|フェルナンド王子]]が人質となったが、「[[セウタ]]返還がかなえば王子を釈放する」というアラブ側の要請に[[コルテス (身分制議会)|コルテス]](議会)が難を示し、交渉は難航した。王子の救出に有効な措置がとれないことで精神的に追いつめられた王は、当時流行していた[[ペスト]]に罹患して死去した。
 
== 脚注 ==
<references />
 
{{先代次代|[[ポルトガル君主一覧|ポルトガル王]]|1433年 - 1438年|[[ジョアン1世 (ポルトガル王)|ジョアン1世]]|[[アフォンソ5世 (ポルトガル王)|アフォンソ5世]]}}