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[[Imageファイル:Palacio Ajuda Lisboa 6.JPG|thumb|left|300px|アジュダ宮殿]]
 
'''アジュダ宮殿''' ('''Palácio Nacional da Ajuda''')は、[[ポルトガル]]・[[リスボン]]にある[[新古典主義建築|ネオクラシカル様式]] の宮殿。19世紀に[[ブラガンサ王朝|ブラガンサ王家]]の王宮として建てられた。
 
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1802年、ポルトガル人建築家ジョゼ・ダ・コスタ・エ・シルヴァと[[イタリア人]]建築家[[フランシスコ・クサヴィエル・ファブリ]]の、モダンなネオクラシカル様式の壮麗な建物の計画が信任された。1807年、ブラガンサ王家は[[半島戦争]]の余波による[[フランス]]軍侵攻を避けるため[[ブラジル]]へ亡命し、建設計画は非常に遅く進み、のちファブリからアントニオ・フランシスコ・ロサへ引き継がれた。財政難のため、建設計画は一定の尺度に従い縮小された。
[[Image:Ajuda-IPPAR1.jpg|thumb|left|300px|冬の庭園]]
 
宮殿は1861年以後、[[ルイス1世 (ポルトガル王)|ルイス1世]]と王妃[[マリア・ピア・デ・サボイア|マリア・ピア]]ら王家の恒久的な王宮となった。お抱え建築家ポッシドニーオ・ダ・シルヴァがファサードを側部ファサードに変えるなど多くの美術的変化を加えた。ルイス1世に先立たれた王妃マリア・ピアは、1910年に軍事[[クーデター]]で王政が廃止されるまでアジュダ宮に住み続けた。現在、アジュダ王宮は博物館となっている。
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[[Category:リスボン]]
[[Category:ポルトガルの宮殿]]
[[Category:ポルトガルの建築物]]
 
[[ca:Palau d'Ajuda]]