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==出生秘話==
[[1973年]][[4月24日]]、テイタニヤは元々は乳牛の牧場だった池田牧場で誕生した。ところが、母・ダイニトモコが子育てを放棄してしまい、代理母候補が居ない事もあり止む無く人の手により育てられる事となった(競馬ゲーム『[[ウイニングポストシリーズ|ウイニングポスト]]』シリーズの「テイタニヤイベント」はこのエピソードが元ネタである)。この様な事態(育児放棄)は稀な例だが、[[タカエノカオリ]]・[[サクラスターオー]]・[[スペシャルウィーク]]等の八大競走優勝馬が、母親を早く失い代理母の世話になっている(出産は母体に可也かなりの負担が掛かる故にため、この様なアクシデントは珍しい事で無い)。因みに、[[メジロドーベル]]の様に血液型の都合からと言う、テイタニヤに勝るとも劣らない稀な例で代理母に育てられた例もある。
 
この様なハンデ(母乳を飲まないと[[免疫]]が付かない)がったにも関わらず、静内の品評会では総合3位・アローエクスプレス産駒としてはトップに選ばれた。
 
==戦績==
引退後池田牧場に戻す事を条件に馬主に引き取られたテイタニヤは、「[[夏の夜の夢]]」に登場する[[タイターニア|妖精の女王]]の名前から「テイタニヤ」と名付けられ、牝馬で好成績を挙げている事で有名な[[稲葉幸夫]][[厩舎]]に入厩した。稲葉厩舎所属の稀代の牝馬使いとして有名な[[嶋田功]]をパートナー主戦騎手得たテイタニヤは関係者の期待に応え3歳時から快進撃。7戦4勝(内3勝は連勝)を挙げ昭和50年最優秀3歳牝馬に選ばれた。
 
4歳になったテイタニヤは、[[クラシック (競馬)|クラシック]]シーズン緒戦(新春4歳牝馬ステークス)こそ7着だったものの、その後は再び快進撃。[[桜花賞]]・[[優駿牝馬|オークス]]した。特に、桜花賞は出遅れながらハンデをものともしない快であった。秋は、牝馬三冠を狙い[[エリザベス女王杯]]に出走するも同厩の[[ディアマンテ (競走馬)|ディアマンテ]]の4着次走は[[有馬記念]]に出走し[[トウショウボーイ]]の5着となった。父アローエクスプレスが同馬齢で挑んだ[[1970年]]の有馬記念の雪辱(4着)は叶わなかったが、これまでの成績が功を奏しから、この年の最優秀4歳牝馬を受賞した。
 
その後テイタニヤは5歳になっても現役を続けたが、二冠制覇で燃え尽きてしまったのか、ラストランとなった11月の[[カブトヤマ記念]]まで勝利を挙げる事はおろか馬券に絡む(3着以内入線)事無く引退となった。
 
==引退後==
故郷・池田牧場に帰還したテイタニヤは繁殖生活を開始したものの、最後まで中央で活躍する産駒を出すことは出来なかった。[[1993年]]に繁殖生活も引退したテイタニヤは、1998年3月27日に心臓麻痺により26歳で死亡した。
 
== 血統表 ==