「ツォルフェアアイン炭鉱業遺産群」の版間の差分
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[[第一次世界大戦]]前夜には、ツォルフェアアインの産出量はおよそ250万トンにのぼっていた。
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第一次世界大戦の後、1920年からは、周辺の炭坑と連携して維持と発展が図られた。そして、第4・第5の双採掘坑の更新のため、1927年までかけて第11坑が追加された。
1928年に入ると、中心となる坑を建設し、採掘量を増加させることが決定された。建築的にも技術的にも一流の施設
[[第二次世界大戦]]による被害は少なく、1953年には産出量が240万トンに回復している。その後も施設の改修が進められ、1961年には西側の用地で新たな[[コークス]]工場が操業を開始した。1日に1万トンの石炭をコークスにする能力がある、ヨーロッパ最新鋭の施設であったが、後にヨーロッパの鉄鋼業が衰退し、コークスの需要が減少したため、1993年7月末で停止されている。
1968年からは経営がルール石炭会社に移され、操業が継続された。しかし、1983年に操業を停止する方針が決定され、1986年12月23日を最後に、操業が止められた。その後も操業が継続されたコークス工場も、1993年に停止されている。
=== 産業遺産への転換 ===
1986年の操業停止の後、[[ノルトライン=ヴェストファーレン州]]が跡地を購入し、全体を[[
[[ファイル:Zollverein School of Management and Design 3116754.jpg|thumb|right|ツォルフェアアイン・スクール(設計:SANAA)]]
その後は、世界遺産としての整備が進められ、[[ルール地方]]の産業遺
2010年にエッセンが[[欧州文化首都]]に選ばれたのは、これらの成果が貢献している。また、同年には、ツォルフェアアイン・スクールを設計したSANAAが[[プリツカー賞]]を受賞している。
== 世界遺産登録基準 ==
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