「ウォール街大暴落」の版間の差分

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同日(10月24日)午後1時、ウォール街の幾人かの指導的銀行家が取引所での恐慌と混乱に対する解決策を見つけるために落ち合った<ref>''The Great Depression'', by Robert Goldston, pages 39-40</ref>。この会合には[[JPモルガン・チェース|モルガン銀行]]の頭取代行トマス・W・ラモン、チェイス国定銀行頭取のアルバート・ウィギン、および[[シティバンク、エヌ・エイ|国定ニューヨーク・シティバンク]]社長のチャールズ・E・ミッチェルが出ていた。彼らは取引所の副会頭リチャード・ホイットニーを彼らのために働く者として選出した。ホイットニーはその背後に控えた銀行家達の財務力をもとに、市場価格よりもかなり高い価格で[[USスチール]]株を大量に購入する注文を出した。トレーダー達が見守る中で、ホイットニーは続いて他の[[ブルーチップ]](優良株)銘柄に同じような買い注文を出した。この操作は1907年恐慌を終わらせた戦術に類似しており、その日の崩落を止めることに成功した。しかし、この時に一息ついたものの一時的なものに過ぎなかった。
 
市場が休みの週末、ウォール街のパニックがアメリカ合衆国中の新聞で報道された。週明けの10月28日の月曜日、最初の「ブラックマンデー」<ref name="blogs1">[http://blogs.wsj.com/deals/2008/09/16/the-panic-of-2008-what-do-we-name-the-crisis/?mod=relevancy The Panic of 2008? What Do We Name the Crisis?] ''The Wall Street Journal''</ref>にはより多くの投資家が市場から引き上げ、その日のダウ工業株平均は13%下落するという記録的なものになり、再び大規模な株価崩壊が起こった。翌10月29日、壊滅的な株価崩壊が起こった「ブラックチューズデー」には約1,600万株が取引された<ref>{{cite web|url=http://www.nyse.com/about/history/timeline_trading.html |title=NYSE, New York Stock Exchange > About Us > History > Timeline > Timeline |publisher=Nyse.com |date= |accessdate=2008-10-01}}</ref><ref name="ref1">{{cite web|url=http://www.npr.org/templates/story/story.php?storyId=94721470 |title=History's Advice During A Panic? Don't Panic : NPR |publisher=Npr.org |author=Linton Weeks |date= |accessdate=2008-10-01}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.pbs.org/wgbh/amex/crash/timeline/timeline2.html |title=American Experience &#124; The Crash of 1929 &#124; Timeline &#124; PBS |publisher=Pbs.org |date= |accessdate=2008-10-01}}</ref>。この日の取引高は1968年に破られるまで40年間近くも最高記録となっていた<ref name="ref1"/>。著作家のリチャード・M・サルスマンは、[[ハーバート・フーヴァー]]大統領が懸案のスムート・ホーリー法案に拒否権を発動しないという噂が飛び交っており10月29日に株価は更に暴落したと記した<ref name="salsman">Richard Salesman, Richard M. "The Cause and Consequences of the Great Depression, Part 1: What Made the Roaring '20s Roar" in ''The Intellectual Activist,'' ISSN 0730-2355, June, 2004, p. 16. Emphasis original.</ref>。[[ゼネラルモーターズ]]の創業者[[ウィリアム・C・デュラント]]はロックフェラー家の家族や他の金融界の巨人達と一緒になって、大衆に市場における彼らの自信を示すために大量の株式を買い支えたが、その努力も崩壊を止めることはできなかった。その日にダウ工業株平均はさらに12%下落した。ティッカーテープ機(証券市場の情報を電信網によって遠隔地に伝える機械)はその日の夜7時45分ころまで止まらなかった。市場はその日だけで140億ドルを失い、1週間の損失は300億ドルとなった。これは連邦政府年間予算の10倍以上に相当することなり、[[第一次世界大戦]]でアメリカ合衆国が消費した金よりもはるかに多いものだった<ref>[http://www.pbs.org/wnet/newyork/ pbs.org] &ndash; ''New York: A Documentary Film''</ref>。
 
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