「南部利謹」の版間の差分
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== 人物及び廃嫡理由 ==
父の利雄が別名を「惣四郎様(そうしろうさま)」(家臣が進言すると何でも「そうしろ」と答えたという)と呼ばれたのと
また[[寛政]]2年([[1790年]])に盛岡藩を旅した[[高山彦九郎]]は、領民から若殿(利謹)に政務を批判された役人達が讒言して押し込めたという話を聞いたと記している<ref>『高山彦九郎日記』第3巻P280-291参照</ref>。なお、子の利済は父である利謹の諱の一部である『謹』を自身や子息につけている。
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