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| 氏族 = [[河内源氏]]、[[常陸源氏]]
| 父母 = 父:[[源義光]]
| 兄弟 = '''義業'''、[[源義清 (武田冠者)|義清]]、[[平賀源盛義|盛義]]、[[源実光|実光]]、[[源親義|親義]]、[[源祐義|祐義]]
| 妻 = [[平清幹]]の娘
| 子 = [[佐竹昌義]]、[[山本義定]](近江)、<br />[[行義]](進士次郎)、[[證玄]](僧))、<br />[[石川光義]]室
| 特記事項 =
}}
 
'''源 義業'''(みなもと の よしなり)は[[平安時代]]後期の[[河内源氏]]の流れを汲む[[常陸源氏]]の[[武将]]。[[源義光]]の嫡男。[[佐竹氏]]の祖。
 
[[佐竹氏]]を称したのは子の[[佐竹昌義|昌義]]であるが、実質的な[[佐竹氏]]初代。父、[[源義光]]を助け、源義光流の発展に寄与した。
 
[[承暦]]元(1077年) 父・[[源義光]]の嫡男として誕生。[[寛治]]元年(1087年)、 義光が[[後三年の役]]に参戦し、官職を解任される。[[嘉承]]元年(1106年)、 父とともに、従兄の[[源義国]]と関東において合戦をする。[[天仁]]2年([[1109年]]) 、 義弟(妻の弟)[[平成幹|鹿島三郎成幹]]が[[源氏]]の棟梁で従兄の[[源義忠]]を暗殺する。[[元永]]元年([[1118年]])、 孫で[[佐竹氏]]二代となる[[佐竹隆義]]が生まれる。[[長承]]2年([[1133年]]) 病没。
 
== 常陸源氏の創生 ==