「売国奴」の版間の差分

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また、[[ナチス]]幹部の[[ヘルマン・ゲーリング]]が[[ニュルンベルク裁判]]で[[ヘルマン・ゲーリング#ニュルンベルク裁判|供述した]]ように、右翼[[全体主義]]/[[国家主義]]支配層が、野党・政敵・体制批判派に「裏切り者」、「民衆の敵」のレッテルを貼って攻撃し黙らせるのには、「売国奴」、「愛国心が足りない」は常套句である。左翼全体主義における常套句は「資本家の手先(または「走狗」)」であるが、「売国」「反民族的」という左翼民族主義的なフレーズもよく使われる。つまり左右勢力がおたがいに相手勢力を「売国奴」と罵り合うという事態がしばしば生じる。
 
例えば、[[戦前・戦中]]の日本では軍部も盛んに使ったが、[[政党政治]]家や[[社会主義]]者も政敵に対しこの言葉をしばしば使った。[[国家]]が[[全体主義]]体制、[[軍国主義]]体制、または[[恐怖政治]]にあるとき、この体制になびく者から現状に疑問を持つ者に対して発せられることも多い
 
第二次世界大戦後の日本においても、[[昭和天皇]]の「[[原子爆弾|原爆]]投下はやむを得ない」発言や、[[聖域なき構造改革]]による[[日本の経済]]の[[アメリカナイゼーション]]が、売国行為として批判されることがある。さらに[[左翼]]系の政治家や団体、マスコミやその関係者に対してもこの語が用いられる傾向にある。
[[国家]]が[[全体主義]]体制、[[軍国主義]]体制、または[[恐怖政治]]にあるとき、この体制になびく者から現状に疑問を持つ者に対して発せられることも多い。
 
第二次世界大戦後の日本においても、「[[原子爆弾|原爆]]投下はやむを得ない」発言や、[[聖域なき構造改革]]による[[日本の経済]]の[[アメリカナイゼーション]]が、売国行為として批判されることがある。さらに[[左翼]]系の政治家や団体、マスコミやその関係者に対してもこの語が用いられる傾向にある。
 
最近では、[[韓国]]で[[親日]]的な発言や活動に対して否定的な国民が、それらを「売国奴」と呼び[[反日]]デモなどもたびたび起こした。また、[[行動する保守]]と称する団体は、[[河野談話]]や[[村山談話]]の撤回を求めている。
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なお、最近では[[構造改革]]を推し進めることが[[外資系企業]]などへの[[経済]]面での売国行為につながるとして、日本国内でそれを批判する立場にいる人物がこの言葉を発することもある。
 
=== その他、日本における「売国奴」の変貌 ===
純粋に[[国益]]に反する行為を非難糾弾する場合にも使われる。ただし、何を「国益」として定義するかは個々の信条にもとづく。
 
[[江戸時代]]後期には、幕府の[[鎖国]]政策を批判した「[[尚歯会]]」、[[渡辺崋山]]らのグループを処罰する事件が起こった(『[[蛮社の獄]]』)。[[儒学]]を基盤にした[[尊王論]]を説いた[[竹内式部]]、[[山県大弐]]も幕政を批判する者として追放や処刑に処せられた。
日本の[[技術]]の他国への流出や、日本の国益に基づかない高額の[[ODA]]や[[円借款]]、[[構造改革]]による[[外資系]]企業への「日本売り」、[[日本における外国人参政権|外国人参政権]]、[[朝鮮学校]]の授業料無償化の導入推進などを「売国行為」、「売国奴」とする傾向もある。
 
[[幕末]]になると、[[大老]][[井伊直弼]]は、急進的な[[尊王攘夷論]]と開化を唱え始めた[[一橋慶喜]]派と、[[長州藩]]の[[吉田松陰]]、[[福井藩]]の[[橋本左内]]らを売国勢力と位置付けて処罰したが([[安政の大獄]])、逆に[[水戸]]浪士らの[[桜田門外の変]]を生んだ。その後、逆に欧米の軍事技術を取り入れた[[薩摩藩]]・[[長州藩]]が幕府の戦力を上回るようになり、[[イギリス]]と手を結んで討幕へと動いた([[王政復古の大号令]])。
 
旧[[幕臣]]や[[会津藩]]・[[桑名藩]]、[[奥羽越列藩同盟]]らはなおも[[薩摩藩]]・[[長州藩]]と戦闘を続けたが([[戊辰戦争]]、[[鳥羽・伏見の戦い]]、[[五稜郭の戦い]])、欧米の戦闘技術を取り入れた薩長に敗北した。[[明治新政府]]の近代化はあまりにも急激で、国民生活の実情を無視していたため、しばしば[[農民一揆]]などは起こり続けた。次に「[[征韓論]]」をめぐって政府が割れ、[[江藤新平]]、[[西郷隆盛]]らは政府を売国と位置付け兵をあげた([[西南戦争]])。
 
そのため一部の[[大名]]、[[公家]]や[[幕臣]]からは[[薩長土肥]]を売国の藩として位置付けたり、[[幕臣]]や[[旗本]]、[[御家人]]でありながら明治政府に出仕して[[爵位]]を貰う[[勝海舟]]や[[榎本武揚]]等を売国として糾弾する動きもあった([[痩我慢の説]]、[[栗本鋤雲]])。政府内では[[山県有朋]]が、[[社会主義]]を売国であると批判して、[[長州藩]]・[[薩摩藩]]の[[藩閥]]政治に従わない者を露骨に冷遇した。
 
のちに思想警察として[[特別高等警察]](特高警察)を発足させ、[[共産主義]]や日本政府批判を厳しく取り締まった。国家主義を主張する雑誌も創刊され([[三宅雪嶺]])、[[大]]正に入ると[[護憲運動]]が盛んになった。
 
[[日清戦争]]、[[日露戦争]]、[[世界大戦]]や[[冷戦]]を経て、近年では、日本の[[技術]]の他国への流出や、日本の国益に基づかない高額の[[ODA]]や[[円借款]]、[[構造改革]]による[[外資系]]企業への「日本売り」、[[日本における外国人参政権|外国人参政権]]、[[朝鮮学校]]の授業料無償化の導入推進などを「売国行為」、「売国奴」とする傾向もある。
 
== 関連項目 ==