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| 上級市長: || ヨアヒム・パウリック (Joachim Paulick) ([[ドイツキリスト教民主同盟|CDU]])
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'''ゲルリッツ'''(''Görlitz'', [[media:Goerlitz pronunciation in German.ogg|発音]])は、旧[[オーバーラウジッツ]]地方([[:en:Upper Lusatia|Oberlausitz]])、現[[ザクセン州]]の[[ナイセ川]]流域にある[[ドイツ]]の[[都市]]である。現在は[[ドレスデン]]都市圏に属する。
 
== 歴史 ==
[[ファイル:Goerlitz 1575.jpg|thumb|left|250px|ゲルリッツの図(1575年)]]
[[ファイル:Goerlitz bruecke waidhaus und st peter u paul.jpg|thumb|left|250px|聖ペテロ・パウロ教会。ナイセ川の国境の橋から]]
ゲルリッツの名は、[[スラヴ語派|スラヴ語]]で「燃やされた土地」(町を切り開く際に土地が焼かれた)を意味する言葉(「燃える」や「燃やす」を意味する[[ロシア語]]のгоретьや[[チェコ語]]のhořetと同語源。)に由来する。ゲルリッツが最初に文献に登場するのは、当時ドイツ王だった[[ハインリヒ4世 (神聖ローマ皇帝) |ハインリヒ4世]]が1071年に書いた書簡である。13世紀以降、交易により町は発展する。
 
[[三十年戦争]]以後[[ザクセン君主一覧|ザクセン選帝侯]]の支配下に入り、[[ナポレオン戦争]]の後、1815年の[[ウィーン会議]]により[[プロイセン王国|プロイセン]]領[[シュレージエン]]の一部となった。
 
[[第二次世界大戦]]ではドイツが敗北する直前、町のナイセ川にかかる橋がすべて爆破された。大戦後、[[オーデル・ナイセ線|オーダー・ナイセ線]]が[[ドイツ民主共和国|東ドイツ]]とポーランドとの国境線とされたため、旧ゲルリッツ市のナイセ川東岸が1948年にポーランド領[[ズゴジェレツ]](Zgorzelec)となり、残りの部分は東ドイツのザクセン州の一部となった。その後ゲルリッツは1952年から[[ドレスデン県]]に属し、ドイツ統一に際し再設置されたザクセン州に復帰した。
 
2002年の水害により、ゲルリッツとズゴジェレツを結ぶ橋が損傷したが、2004年10月に復旧した。
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== 脚注 ==
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<references />
 
== 関連項目 ==