「ムーシー川」の版間の差分

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[[1820年]]の大氾濫では、数百もの家屋が水没している。[[1908年]][[9月28日]]の大氾濫は特に悲劇的なもので、2000近くもの家屋が押し流され、ムシ川両岸は、無数の死体や残骸で燦々たる様相であったと記録されている。これは、1日420mmという大豪雨のために、川の水位が33mあるいはそれ以上にまで上昇したことが原因である。[[ニザーム]]家は、[[軍]]と[[警察]]による救援所をハイデラバードの10箇所に開設して、水害被害者の救済にあたった。また、このような破滅的な氾濫を防ぐために、ニザーム家は川の両岸の堤防を高く、また強固にするとともに、オスマーン・サーガル、ヒマーヤト・サーガルという貯水湖を建設した。
 
ムシ川南岸のオ-ルドシティーにある古い警察署では、当時の状況を示す様子よすがが今も残されているという。それは、警察署建物に記された氾濫水位の最高到達点を示すH.F.L(Height of Flood Level)の文字である。
 
[[Category:インドの河川|むし]]