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Dr jimmy (会話 | 投稿記録)
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種牡馬となったリボーは最初イギリスの[[ダービー伯爵]]の元で供用され、翌年から2年間イタリアのオルジアタ牧場で供用された。その後、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]のダービーダンファームへ5年間のリース契約ながら135万ドルという史上最高価格が提示されアメリカに渡った。アメリカに渡ってからのリボーは環境の変化と加齢のためか、若い頃の人懐っこい性格は姿を潜め、非常に扱い辛い性格へとなっていった。そのため、5年後にイタリアに戻る予定が、渡航の危険性から保険の引き受け手が見つからなかった。ダービーダンファームは5年間のリース期間延長と引き替えに追加で135万ドルを支払った。
 
産駒は世界中に拡散したが、主に[[ヨーロッパ]]で走った産駒が活躍した。種牡馬としての能力も桁違いで、イギリスでのトータルアーニングインデックスは10近く、テシオもう一頭の代表馬[[ネアルコ]]を上回るという意見もある。しかし、後継種牡馬はネアルコに大きく差を開けられてしまった。それでも[[トムロルフ]]は孫の代に[[アレッジド]](Alleged、リボー以来の凱旋門賞連覇を達成)を出し、グロースターク、ヒズマジェスティ兄弟も種牡馬として活躍した。[[セントサイモン系]]最大の勢力であると共に、今日圧倒的なシェアを持つ[[ファラリス系]](ネアルコ系、ネイティヴダンサー系)に対抗できる数少ない勢力の1つではある(→子孫については[[リボー系]]を参照されたい)。
 
* 1963、67~68年のイギリス[[リーディングサイアー]]