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'''南部 利謹'''(なんぶ としのり、[[延享]]3年([[1746年]]) - [[文化 (元号)|文化]]11年([[1814年]]))は、[[陸奥国|陸奥]][[盛岡藩]]第8代藩主・[[南部利雄]]の長男。母は[[前田利章]]の娘。正室は[[黒田継高]]の娘。[[官位]]従四位下、[[信濃国|信濃]]守。[[通称]]は三郎。[[諱]]は嵩信、後に利謹。子は12代藩主[[南部利済]](次男)など。側室で利済生母である石原氏(清鏡院)は俗称「油御前」といわれる庶民出の女性で、塗師の寡婦であり、利謹の死後に聖寿寺に出家し、妙白尼と称した。
 
== 経歴 ==