「呉士連」の版間の差分
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若い頃に[[黎利]]の独立闘争に参加した後、[[黎太宗]]代になって[[進士]]の試験に合格し官人となった。黎聖宗代の[[光順]]年間になると、[[黎聖宗]]は改めて国史編修を命じ、国史院に勤める呉士連も編纂に参加するのであった。しかし、呉士連は父親の死去に伴ない、喪に服すため故郷へ帰ることとなり、一旦、編纂作業から離脱することとなる。その間、国史院によって新たな正史は完成され、皇帝に上進されるのであった。
その一方、呉士連は国史院に戻ると、[[陳朝]]期の[[黎文休]]が編纂した正史「[[大越史記]]」および黎朝[[仁宗]]期の[[潘孚先]]が編修した「大越史記続編」を基にして、[[本紀]]10巻、
== 参考文献 ==
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