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 若い頃に[[黎利]]の独立闘争に参加した後、[[黎太宗]]代になって[[進士]]の試験に合格し官人となった。黎聖宗代の[[光順]]年間になると、[[黎聖宗]]は改めて国史編修を命じ、国史院に勤める呉士連も編纂に参加するのであった。しかし、呉士連は父親の死去に伴ない、喪に服すため故郷へ帰ることとなり、一旦、編纂作業から離脱することとなる。その間、国史院によって新たな正史は完成され、皇帝に上進されるのであった。
 
 その一方、呉士連は国史院に戻ると、[[陳朝]]期の[[黎文休]]が編纂した正史「[[大越史記]]」および黎朝[[仁宗]]期の[[潘孚先]]が編修した「大越史記続編」を基にして、[[本紀]]10巻、[[外紀]]5巻の計15巻から成る「大越史記全書」を自撰するのであった。そして1479年([[洪徳]]10年)に大越史記全書を黎聖宗に上進した。その後、王朝では国史院によって編纂された正史の方は散逸してしまい、呉士連自撰の「大越史記全書」が正史として扱われるようになり、後世、呉士連はヴェトナムを代表する歴史家の一人として評価されている。
 
== 参考文献 ==