「ワット・アルンラーチャワラーラーム」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
Horiuchi73 (会話 | 投稿記録)
m編集の要約なし
14行目:
[[File:Wat Arun Stairway.jpg|right|thumb|225px|ワット・アルン]]
[[Image:Thailand Wat Arun 1.JPG|left|thumb|256px|大仏塔]]
[[File:ワット・アルンから眺めたチャオプラヤー川.JPG|left|thumb|250px|ワット・アルンから眺めたチャオプラヤー川]]
[[Image:WatArun_closeup.jpg|left|thumb|256px|大仏塔近影(陶器の破片が埋め込まれている)]]
ワット・アルンラーチャワラーラームは、創建についての記録は見つかっていないが、アユタヤ朝のペートラーチャー王時代にフランスの軍人によって描かれたチャオプラヤー川流域の地図にあることから、少なくともそれ以前に建てられていたことがわかる。当時の呼び名は'''ワット・マコーク'''、その後'''ワット・マコークノーク'''、'''ワット・マコークナイ'''と名を変えたが、1767年のアユタヤ朝滅亡後、この地を掌握した[[タークシン]]により修復され、名前を'''ワット・ジェーン'''とした。そして[[トンブリー王朝]]の王宮寺院となった。