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かつて自著で「欧米の裁判所は有罪か無罪かを判断する所であるのに対して日本の裁判所は有罪を認定するだけの所である」という痛烈な司法行政批判を行った事がある。
 
大学者であると同時に、東大総長に就任したことからも分かるとおり、政治的手腕もあった。団藤重光の弟子であった藤木英雄が夭折したあと、誰もが後任の教授のポストは大塚仁(名古屋大学)か福田平(一橋大学)かと思ったが、法学部長であった平野は、やや強引に東京都立大の内藤謙を呼び寄せた。団藤が最高裁に転出していなかったらできない荒業であった。これで、東大には行為無価値の教授はいないという異常事態が生じ、現在まで続いている。
 
平野の学恩を受けた学者は刑訴も含め数多いが、平野の弟子を務めた次の6人が正統な弟子であり、俗に平野シューレと呼ばれる。即ち、①町野朔(変人)、②西田典之(人格者)、③前田雅英(凡人)、④林幹人(奇人)、
⑤山口厚(天才)、⑥佐伯仁志(芸術家)である(カッコ内は平野が酔ったときの寸評)。
 
== 学説 ==