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MUSASHI (会話 | 投稿記録)
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奈良県明日香村の飛鳥池遺跡から出土した木簡に「吉備道中国加夜評/葦守里俵六□」と記されていた。この木簡に年紀がないが、伴出遺物から7世紀末のものと推測される。同遺跡から「加毛評柞原里」と記された木簡が出土している。芸備地方にも評里制が実施されていたことが分かる。
 
[[隠岐国]]の評については、飛鳥や藤原・平城京に送られた海産物などに付けた評・郷・里名、負担者名、物品名などの木簡が多量に発見されている。[[島前]]に知夫利(ちぶり)評・海評、[[島後]]に次(すき)評・衣地(えち)評が置かれ、当初はその下に五十戸(さと=里)が編成された。
*知夫利評(郡)を例にとると、
**評制(~701)では、知夫利評-由羅五十戸(五十戸は「さと」と読み、「里」と同じ意味)、三田里、
**郡里制(701~717)では、知夫利郡-由良里、
**郡郷里制(717~740)では、知夫郡-宇良郷-白浜里、由良郷、美多郷-美祢里、大結郷-前野里、安吉里、
**郡郷制(740~)では、宇良郷・由良郷・美多郷・大井郷、
**『和名抄』では宇良郷・由良郷・三田郷
:のような編成であった。<ref>大日方克己「古代国家の展開と出雲・石見・隠岐三国」 松尾寿・田中義昭・渡辺貞幸・大日方克己・井上寛司・竹永三男『島根県の歴史』2005年 87ページの表</ref>
 
== 脚注 ==