「長子領」の版間の差分

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== 概要 ==
遺言状では年長者相続の原則が採用され、王家の最長老「長子」(首位の公、[[プリンケプス]]、大公などと呼ばれた)が諸公たちの最高権威者(Dux)であり、ポーランドの真ん中を南北に走るように広がり、[[クラクフ]]を主都とする「長子領」([[ヴィエルコポルスカ]]東部、[[マウォポルスカ]]、[[クヤヴィ]]西部、[[ウェンチツァ公国|ウェンチツァ地方]]および[[シェラツ公国|シェラツ地方]]かる)の支配者だった(「長子領」は分割を禁じられていた)。また長子は[[ポモジェ]]を封土として、その宗主権をもつ特権をも与えられた。長子は国境を防衛し、他の諸公の領地から軍隊を招集し、外交を担当し、聖職者を監督し、貨幣を鋳造する権限をもつポーランド国家の主権者だった。
 
歴代の大公は多くの場合、ピャスト家の一員である自らの出身家系から相続した分領公国を所有しており、彼が死ぬと世襲の分領公国は彼自身の息子が相続したが、クラクフ公国は王家中で生存する中での最長老者に譲られた。「長子」つまりクラクフ公の地位は、その地位にあるものに相当な権限と利益をもたらすものであり、その職にある人物は自らをポーランドの諸公たちより高い身分におこうとした。